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怒りの自覚

 アイドルのように、いつも明るく、笑顔で、感じのいい人を演じていれば、人間関係は表面上はうまくいくことでしょう。ですが、その反面、失感情症のように怒りの自覚が鈍ってしまうことがあります。「あの人とうまくやっていきたい」という思いが、常日頃より強くなったら、それは怒りの反動形式かもしれません。
 怒りを表現することによって、ますます関係が悪化、熾烈な反撃を受け消耗しきった挙句に、永久に関係が断絶してしまうこともあります。一度そうした経験をすると、防衛が働いてしまうのもやむをえないことです。
 とはいえ、我慢した挙句に、自分の心境を少し吐露しただけで、烈火のごとく反撃し、自分の正当性を主張するばかりの人なら、自分にとってたいせつな人とは言えないのではないでしょうか。たとえ、その人が遠目にはどれほど素晴らしく、多くの人の憧れの的であるとしても。どれほど愛し、尽くし続けた人であったとしても。
 あなたが憤りを感じるのは、相手があなたに何かを我慢させているからではありませんか。あなたがたいせつなら、自分の至らなさを自覚し、より良い関係のために何かを改めたいと思うはずです。自分は自分のまま、変わるつもりはない。それに不足を言う相手なら付き合わないというのなら、あなたを必要としてはいません。
 相手のありのままを許し、受け入れることがたいせつだと言われますが、何をしても許されるわけではありません。自らが発したものにふさわしいものが返ってくるのが、人間関係の原則です。相手があなたをボロ雑巾のように扱い、反省などしないというのなら、恋人や友人のリストから相手を外すまでです。ボロ雑巾のままに耐え続けるのが許すことではありません。

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自分を守るためには、まず自分自身が自分の味方でなくてはなりません。ところが、継続する否定や見下しといた心理的ないじめは、人格を否定するものですから、ともすれば自尊心は低くなってしまいます。すると、「わたしの△△なところが、こういう結果を招いた。」と、相手の分まで過剰に責任を負ってしまう可能性があります。
 ドラマだと考えてみましょう。わたしが△△であったとしても、相手やその友人のキャスティングを入れ替えるだけで、ストーリーが変わる、その出来事は起きなかったという展開もあるのです。相手がその人だったからこそ、起きてしまったもめ事とは言えないでしょうか。
 ひどいことをされたとあなたが感じるなら、それはひどい事なのです。相手が権利や正当性を主張したとしても。
 怒ってもいいのです。恨んでもいいのです。逃げても、明るみに出してもいいのです。それは、相手が自分の言動から受け取る報酬です。
 相手の苦痛を知っても反省しない人は、その人を失っても構わないと思っています。自分を拒絶する人と、それでも付き合いたいと思えば、それは隷属になってしまいます。
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