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愛が無ければ

 たとえ、どれほど立派なことばを口にしても、そこに愛が感じられなければ、騒がしいノイズのようです。たとえ、多額の寄付金を贈ったとしても、そこに愛が感じられなければ、功名心としか受け取られません。 
 愛とは、人の憂い、人の痛みがわかることです。たとえ、自らが経験したことのない痛みだとしても、想像力を働かせようとする優しさです。
 健康や財産を持たない人は気の毒な人だから、助けてあげるという思考は愛ではありません。内心、汚くて臭くてイヤだとぼやきながらも、ボランティアに従事するのはなぜでしょうか。ことばを話せない障害者が、今何を感じているかなど気にもかけず、その口に無理やり食べ物を押し込んで、そうした自分に酔っているのでしょうか。相手の不幸で自らの優越感を満たし、よくやっている人と言う評価が欲しくて、聞かれもしないのに、自慢話ばかりを口にする人。こういう人の世話になりたくないものだと、周囲の人は見ているものです。「ご立派ですねぇ」と口では言っていても。

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 自己満足のために弱者を必要としている人は、近隣にそうした人を見つけ出すのがうまく、見つけ出すと活き活きとします。代理ミュンヒハウゼン症候群に似た心理が働いているのかもしれません。もしかすると、本人は「かわいそうな人の為に一生懸命なわたしって、すばらしい!!」と本気で思っているのかもしれません。ですが、相手の痛みや憂いなど意に介さずの姿勢は、相手ばかりでなく周囲にも解ります。
 こうした人に限って、他の場所では、知ったかぶりに、よく知りもしない人を、やたらと苛烈に批判しているものです。日常で自分を尊重する心が育っていないから、引き立て役を必要とし、おせっかいを焼いては、そうした自分の価値を声高に叫ばずにいられないのでしょうか。その一方で、秀でていると見える人を叩かずにはいられないのでしょうか。
 健康で幸福な人の身の上にも、いつ何が起きるかわかりません。そうした災難が降りかかってきた人に対した時、心が痛み、この人の為に自分にできること、さほど重荷にならずできることをしてあげたいと思うのが、自然で適切な優しさです。そこに生まれる交流を、楽しめるのが愛です。
 内心、臭い汚いと嫌いながら、したくもないサービスをしているのなら、仰ぎ見られるという報酬が無ければやってられません。こうした人は、称賛といううわべだけの評価に踊らされる可能性があるので、要注意です。
 誰から褒め称えられることなくとも、生きとし生きるものへの優しさがあれば、それで充分です。それは、おのずと滲み出て周囲を癒します。周囲との暖かな交流も生まれます。いかに功名があったとしても、周りにいる人とフラットな良い関係が築けなければ、幸せではありません。
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カテゴリ: 恋愛依存

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