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対人不信の周辺 依存と攻撃

 人間関係がうまくいかないとき、どちらかの側の「依存心」が災いしていることも少なくありません。誰かにやってほしい、かまってほしい、支えと欲しいと、無意識のうちに他人の存在に頼っているのです。しかも、相手が後輩だから、年下だからと、してもらうのが当然と考えてしまうと、お願いする以前に怒ってしまうこともあります。「なんで私の机を拭いてくれないんだ!汚れているのが解らないのか!」
 相手は故意に、悪意を持ってその机だけを避けているわけではないことでしょう。仕事してるから邪魔になると気を使てくれている、と考える方が自然です。強すぎる依存心は「~してくれない」と他者の行動を否定的に受け取って、ひがんだ解釈をしてしまいます。相手を責めたり、攻撃してしまっては、良い関係が築けるわけもありません。たとえ上司と部下といった上下の関係であるとしても、悪いね、頼むよ、といった相手の労をねぎらう姿勢は不可欠です。

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ほんの些細なことで他者とのかかわりを壊してしまう人には、同様の過去の積み重ねがあることでしょう。子供時代、養育者から充分な保護を受けてこなかった、支えや助けをどこからも得られなかった、そうした孤独感や人類に対する不信があるのかもしれません。
 すると、他人に対して、心を開いて近づいていかれません。とはいえ、胸中には寂しさを抱えていますので、癒されたい、充たされたいという思いは、オープンマインドの人よりも強いかもしれません。微笑みかけてくれる人、話しかけてくれる人、手を差し伸べてくれる人を待っています。ですが、自分からは微笑みかけられません。
 待って待ちくたびれて、疎外感も深まると、コンプレックスも強くなります。ある人は、取るに足りないようなことを自慢せずにはいられなくなるかもしれません。またある人は、聞かれてもいないのに自慢を繰り返したかと思うと、周囲の人の批判、非難を始めます。相手の良さを認めたりすると、ますます自分がいたらなく思えるのかもしれません。どうしても称賛を望まれるようなシーンでは、あざとく見え透いたお世辞を口にすることでしょう。本人は一生懸命頑張っているのでしょうが、ともすれば感じの悪い人と思われがちです。
 他者不信の世界に長く住んでいると、自分の世界の住人は自分だけになってしまいます。すると、他者の心情を慮る能力も退化してきます。自分の心情や都合、自分が決めたルールだけで動いてしまい、他者と調和するための公のルールの意味が解らなくなります。他者から仲間として招き入れられるのはうれしいのですが、そこに居るために支払う負担を苦痛に感じるのです。責任感を問われるシーンも度々あり、不誠実という評価を受けることもあることでしょう。こうして、自分の蒔いた種に傷つくと、また他者との関わりを絶ってしまい、孤独のうちの安息に戻ろうとします。他者から与えられたいと望むばかりで、与えるものを持たないのが原因ですが、そこに気付きえないのが問題と言えるでしょう。
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