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猜疑心の裏側

 パートナーの心が最近離れているのではないか、友人や同僚が陰で悪口を言っているのではないか、ちらっと視線があったその視線だけで、不吉な想いがもやもやと湧いてしまう。相手に確認できないでいると、そうした疑惑は、どんどん確信に変わってしまう危険性があります。
 不安や恐れは、それと正反対のものを望む心が生み出しています。もっと打ち解けたい、もっと親密になりたい、なのにそうなれていない現実とのジレンマです。そこで、100か0かと心が揺れています。

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 いつでも好きだと思われているわけではないかもしれません。時には悪口も言われているかもしれません。自分だってそうです。恋人や友人の愚痴を他の場所でこぼして、欠席裁判などやっています。
 少々好きになれない部分を相手が持っているとしても、それでも付き合って楽しいから付き合っているのです。相手にもっともっとと完璧を求めるのは、いささか身勝手かもしれません。「もっと、わたしにとって心地よいあなたになって」という願いをちっと脇に置いて、ありがとうを言ってみるのも大事かもしれません。
 猜疑心が忍び込むのは、「こんなわたしだから....」という自己否定が関与している場合もあります。相手にとって、たいして役に立つ存在じゃないから....そうした過小評価も猜疑心を招きよせます。
 そこで相手にとって必要な存在になろうと努力すると、自分の欲求を二の次にしてしまいかねません。こんなに相手のために働いているのだから、右腕だと思われているはずとうぬぼれていても、自分のしたいことをする時間も無いようでは虚しさをぬぐえません。
 人は他者との信頼関係の中に、居場所や充足感を見出すものです。それほどに孤独を怖れる種だと言えます。
 ですが、次から次へと人にもまれているようでは、経験から学ぶ時間もないのもまた事実です。独りになって出来事をゆっくり咀嚼し、反芻し、それがどれほど 辛く苦しい経験だったとしても、そこから学ぶべき教訓を受け取り、糧となったと考えられるようになって初めて、同じ失敗を繰り返さない自分になっていることでしょう。
 孤独もまた、必要な時間なのです。傍に居る相手を、孤独を癒す手段として、すがり過ぎないことが、猜疑心を招きよせない方法といえるでしょうか。
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カテゴリ: 恋愛依存

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