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ことばに責任を持たない人

 「また、近いうちに連絡します。」と言われたけれど、待てど暮らせどそれっきり。あれは社交辞令にすぎなかったんだと納得するような場面は、誰しも経験済みのことと思います。コミュニケーションの主体はことばですが、その一方でことばのみを鵜呑みにしてはいけません、などと言われます。目線や態度、状況を総合して判断しないと、相手の真意は見えないのです。ことばには相手への気遣いや自己弁護などが複雑に入り混じります。ひとり一人違うその人らしいことばの使い方の癖を理解するには、時間がかかります。人間関係がややこしいのも、無理からぬことかもしれません。
 とはいえ、ことばには責任が伴います。特に約束に関することには。発したとたんに空中に消え去ることば、ですが、聞いた人の記憶には留まるのです。ことばを軽んじてはいけません。
その気もないのに軽く約束をして、ちっとも実行しない人は、ことばを軽く考え、弄んでいます。信用して振り回された相手は、「わたしを弄んでいる」と感じることでしょう。

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口がうまく、一見如才なく見えても、多くの人と安定した信頼関係を築けません。人づきあいは華やかでも表面的な付き合いに終始したり、頻繁に付き合う対象が変わることも多いことでしょう。安定した関係性は、ことばを誠実に使うこと、ことばに責任を持つことによってもたらされるのです。
 後になって「言った覚えがない」だの「予定は未定」だのといって、責任逃れをするようでは、事あるごとに問題解決できず、人間関係を消失していきます。同じ職場に長く留まれず、友情も恋愛も長続きしないといった傾向もあることでしょう。
 言動一致を当然のこととして、日常実行している人たちは首をかしげることでしょう。何故、すぐばれる嘘をつくのか、できない約束を自ら口らするのか、さっぱり解らない。自分が信頼を失う事なのにと。
 言動不一致の人は、実はそれが解らないのかもしれません。傍目には、小手先で相手を動かそうとする不誠実な人、と見えますが、その日その時そのシーンのみに生きている人かもしれません。自らの言動が、相手を困惑させ、その結果、信頼を失う行為だと思い至れないのです。
 相手の迷惑や苦痛に思いやれないのは、相手に対する関心がないからに他なりません。ことばの重さを知らない人は、そもそも他者に興味がありません。ですから、その場その場で自分の都合の良いことばを駆使しているにすぎないのです。連続体として考えられないのは、継続して人と関わる経験が希薄だからかもしれません。付き合いきれない迷惑な人として周囲を悩ませているその人は、もしかしたら、なぜかいつも人間関係が続きしないと悩んでいるのかもしれません。人から距離を開けられ、傷ついて自分も距離を開け、孤独の中に安住の地を見出しながら、それでも気配りをしながら表面の付き合いをしているのかもしれません。誠意の裏打ちの無い耳触りのいい彼らの言葉、その人に言わせれば気遣いなのかもしれません。
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