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良心の欠如

 わたしたちは、自分の心を基準にして、他者の言動の真意を推し量ろうとします。「こんなこと言われたら嫌だろうな」と感じることは言わないように心がけます。 ところが、口先はうまいが、考えが皮相的、自分本位で衝動的、責任感がなく、良心の呵責や罪の意識が乏しい、常習的に人を欺き騙そうとする、他者の心の動きについて感受性が乏しい、こうした傾向を持つ人々、いわゆる、精神病質パーソナリティと言われる人たちは、そうでない人たちのようには感じません。
 こうした人に遭遇すると「なぜ?」と、わたしたちは訳が分からず、その人の心理を解説してくれる人を捜し求めたくなることでしょう。なぜ、同僚をちょっと嫌な気分にさせるために、すぐばれる嘘を繰り返すのだろうか?遠からず、自分の立場が悪くなり、自分を追いつめてしまう行為なのに!!



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「なぜ?」と意見を求められた人たちも、「さあ....」と小首をかしげてしまうことでしょう。その凍てつくような眼差しは、まるで爬虫類のようだと感じるその人は、確かに別の世界の住人かもしれません。優秀な学力や知能にもかかわらず、その人は驚くほど近視眼的なのです。目障りな同僚、あるいは好意を抱く異性をちょっと傷つけて快感を味わうために、有能な弁を駆使します。中長期的な人の心の動きを視野に入れていません。理解する能力が欠けているようにも見えます。
 困ったことに、一見して柔和で人当たりがいいために、遠目から見抜くことは難しいものです。そのため、付き合うほどに、混乱してしまうことになります。自分の感じ方で状況を観たら、次には自分の枠を外してみることが大事かもしれません。
 その人は、他者との協調を求められるチームプレーは苦手なことでしょう。自分にしか関心がないので、他の人たちが意義や楽しみを感じていることに、注意を向けられないのです。
 人と接するときには、相手に気にいられそうなお世辞や、果たす予定もない約束や、時には脅し、通じなければ泣き落としも使います。友人や恋人にもこうした態度で臨みがちですので、相手はパワーゲームを仕掛けられている心境になるかもしれません。
 良心の出所は、相手の痛みを観たくないと言う愛です。自分の都合次第で、相手を裏切ったり、道具のように使う人には、相手への愛がありません。恋人やパートナー、子供でさえも、自分の役に立つ道具という見方以外できないのかもしれません。
 ですが、相手を支配し利用するだけでは、優越感を得られても、人は幸福感を得難いものです。集団で生きる生物である人間は、人や動物を含めた周囲と心を通わせることの中に、生きる喜びを見出せる生き物なのです。他から貪り、裏切り遺棄する生き方の中には、虚無と退屈が忍び込み蝕みます。そして、一時は快楽を手に入れたように見えても、いずれは愛を注いでくれた人も離れていくことになることでしょう。
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