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人を見る目

 その人が、些細なことで激高して、自分に対して怒りを露わにする…。こうしたとき、自分のどこがいけなくて怒りを買ったのかと落ち込み、継続して不機嫌な態度をぶつけられると、その人と関わる自分の人格に難があるのでは?と、疑いたくなるかもしれません。
 自分の態度を改めることによって、関係性を良くしていこうとする向上心はたいせつですが、その人の、他の人との関わりはどうでしょうか?態度を荒げるまでもないところで荒げるといった問題行動をとる人は、他の人に対しても同様の態度を取りやすいものです。それはその人の人格の問題です。

 人の本音は、ことばよりも態度に現れると言われます。ことばは自由に使えますから、その重大さに気付かず、安く使っている人も少なくありません。後から詰問されるようなことがあっても、記憶にない、言った覚えはないとしらを切れば逃れられるとタカをくくっているかのようです。ですが、ことばによる裏切りは、もう一人の当事者の心に深く刻印されます。


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たとえ些細な出来事だとしても、自分のことばに責任を持たず、絶えず自らを安全圏へ置こうとする逃げの姿勢を取る人とは、安心して付き合えません。
 こうした姿勢を取っている人は、「継続」が難しくなります。対人関係がすぐに切れて、長続きしません。その延長として、職場などの社会にも長く居づらいことでしょう。
 衝動的で気分屋な人は、刹那的に生きている人です。すぐばれる稚拙な嘘でいい逃れようとしたり、逃げ場を失うと破綻して、本音をぶちまけて逆ギレすることでしょう。こうした人と関わってしまうと、いつも振り回されたり、突然態度を替えられて唖然とする場合もあるかもしれません。

 信頼できる相手かどうか、それをどうやって見分ければいいのでしょう?長く付き合っていれば、その人の様々な顔を知ることとなることでしょう。それよりも早く、わたしたちは直観的に判断することも多いものです。危機を察知する動物の本能のように、危険な相手を嗅ぎ分けます。
 何を嗅ぎ分けているのか?おそらく、相手が慈愛の心を持っているかどうかです。目つき、顔つき、話の内容、そうしたものを瞬時に統合して判断しています。そこにサディズムがあるか否か、自己中心性が多いか少ないか。
 慈愛の心とは、人も野生動物も、およそこの世に生きとし生けるものが生き続けることは楽じゃないという観念でしょうか。そこから思いやりも生まれます。その人の思想の根底にそうした愛情があるか、人それぞれの人生に対する尊敬があるかどうかはとても重要な事です。こうした傾向を感じさせない人、自分なりの価値観に合わない人を簡単に見下す人は、立場や肩書がどうであれ、注意が必要と言えるかもしれません。
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カテゴリ: 認知と癒し

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