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いい人をやめてみる

 人間関係で疲れを感じているとき、無意識のうちに、いい人になりすぎているのかもしれません。責任感の強い人は、それが当然だと思って、少々無理してでも働いてしまいます。そうした姿が、周囲や相手の目には、従順で素直、まじめで人を疑うことを知らず、人に嫌われたくない、周囲に悪く思われたくない、という気持ちが強い人、つまり御しやすい人だと認識されているかもしれません。
 相手の役に立つことを積み重ねることによって、友好的な関係性になろうとすると疲れます。よく働いてくれる人には、さらに仕事が増えていくばかり、となりがちだからです。そして、ちょっと都合のいい人でない面を見せるだけで、築いてきた評価はあっけなく翻りかねません。



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 「百害あって一利なし」というような相手とは、誰しも付き合いたくないことでしょう。継続して付き合い続けてこられた相手は、どこかしら互いの良さを知っています。そこに焦点を当て、欠点には片眼をつむるぐらいの気楽さでいれば、友情も長く続くことでしょう。
 そうした古い友人関係でも、ときには何らかの摩擦も生じるかもしれません。柳に風と受け流せればいいのですが、相手に裏切られて自分の居場所を失ったようなショックを受け、自ら相手との歴史にピリオドを打つ人もいるかもしれません。
 そうした傾向のある人は、一度耳にした拒絶のことばを、永遠と受け止めやすいのです。人の心情は絶えず変化するものとは、未だ知らずにいるのかもしれません。それだけに、しくじってはならじと、いつもいい人でいる必要を感じているのかもしれません。

 この人を、この場所を失いたくない、失ったら生きていけないと思い込んでいるときも、人の心は不自由です。いい人をやめられません。

 人の心は流動的なものです。頑張っていい関係に固定しようとしても、思うようにならないことも多いものです。そして、うまくいかない相手とは、無理をしてもうまくいかないものです。
 お互いのあるがままを許容して、相手の気質や個性を批判しない、相手との相違点に着目して相手を自分の価値観に染めようとしない、ただ一緒に居て肩がこらず楽しめる、そうした人たちをたいせつにして、後の人たちは、風に吹かれる葦のように受け止めるのもいいかもしれません。葦の葉は風のままに流されるようでいて、その地中の根は、風の影響を全く受けず、自分を見失いませんから。
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