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正しさという暴力

 物事を正しいか否かで判断し、間違っていると見なしたものには徹底して攻撃する。発達障害のある人は、とかくこうした極端に走りがちです。
 正しささえ守っていれば大丈夫と、防衛意識から窮屈な生き方をしている人は、少しの逸脱も許せません。そもそも正しさとは何でしょう?判断する人の立場によっても異なります。人を好きになること、嫌うこと、およそ、人の感情に基づく言動に、正邪の法則を持ち込むことは、相手の痛みに鈍感で、不寛容で傲慢な、その人の人格の偏りを証明しているかのようです。
 正しさで武装した攻撃は、悪事と自覚した攻撃よりも、いっそう危険なものです。正しさの論理は、相手に加える暴力の正当化に他なりません。相手が長期間PTSDに陥るほど追いつめても、正しい行動だったと反省しないのは、臆病さの防衛と言えるでしょう。

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自らが叩き、打ちのめした相手が、傷心し衰弱している姿を見て、憐みのかけらも感じないのは、あまりにも冷酷というものです。その残酷さは、自らのやましさの故とも言えます。
 相手が犯してしまったこと、それと同様の欲望を、心に秘めているということです。社会の目を気にして自らに封印していること、それをいっそう封じ込めるために、気取られないために、逸脱者を激しく断罪します。
 勇気のない正義は、自覚された悪意よりもはるかに邪悪で、恐ろしいものです。
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