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潰されれない心

 およそ他人を攻撃せずにはいられない人は、卑怯な人といえます。もっともらしい理由をつけて、自分を正当化し、罪悪感を他者に押し付けます。自らの独断と偏見を最良で正しいと信じて疑わず、その基準をもって人を裁き、相手に過ちの烙印を押すことも厭わないでしょう。時には脅したり、自分が被害者ぶったりと、口は達者で巧妙です。愛や寛容を説きながら、相手には愛も寛容のかけらも示しません。
 多くの場合、おとなしい人がターゲットに選ばれます。戦闘的な人も、反撃されて負傷する事態は避けたいのです。そこで、安全と思われる相手を、そのたぐいまれな嗅覚で嗅ぎ分けます。その人が持っているかわいらしさや素直さ、仕事の速さなどの優れた資質も、やっかみの対象になります。

 おとなしい人に欠けているのは、反撃力です。これまで「戦う」という生き方をしてこなかったのですから、無理もありません。そこで、自分の苦痛を理解してもらおう、和解しよう、などと考えがちです。ですが、そもそも、邪魔だから潰そうと考えている相手には、通じません。媚びたり下出に出ても、その態度をあざ笑うことしかできない人かもしれません。

 おとなしい人の中には、幼い頃から愛情を充分に受けていない人もいるかもしれません。親から人格を攻撃されてきた人は、攻撃的な人に出会うと、自分の性格を恥じて、自分で自分を守れません。やっぱり自分はダメなのだと、委縮してしまいがちです。自分を守ることとはどういうことなのかがわからないと、戦うことはおろか、逃げることもままなりません。捕食者の情けにすがろうとしたり、凍り付いたように立ち止まってしまうばかりです。


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もめ事を起こしたら、周囲の自分に対する評価が落ちるのではないかと、恐れる人もいることでしょう。それに、そもそも、抗議の声も唇を付いて出ないかもしれません。そして、ますます傷つけられ、痛めつけられると、人類に対する信頼までなくしかねません。実際、その域まで達してしまったら、やっぱりあの人は社会性に問題がある、という結論に落ち着いてしまいます。

 誰しも、他人を攻撃せずにはいられない人に、人生において何度か出会うものです。その人たちの数だけ、ターゲットに選ばれる人もいます。あなただけが選ばれたわけではありません。欠けるところがあるから選ばれたわけでもありません。
 
 逃げることは負けることだと、戦えない相手の前に留まることは、いたずらに傷を増やすことになりかねません。心を病む人には、逃げ遅れた人も多いものです。逃げ遅れて深手を負うくらいなら、早々に見極める方がいいかもしれません。草食動物には草食動物の生き方があります。肉食系のようにふるまえないから駄目だと、自分を攻撃してはいけません。最も守らなければならない自分を、誰よりも激しく責めては潰れてしまいます。

他人を攻撃せずにはいられない人にも、それなりの理由があります。嫉妬、羨望、我欲、保身、不信感の強い人格、などなど。攻撃する人を非難して自らを全く省みないのはよくありませんが、自分自身を弱すぎる、不甲斐ないと責めても、良いことは起こらないでしょう。
 自分を責めるその言葉は、かつて親からけなされた言葉ではありませんか?それは、親自身の未熟さゆえにすぎません。わが子の心に深い傷を与えていると、気づけないほどに若かったのです。
 傷ついたときには、過去の同様の痛みが蘇ってきがちですが、混同しないよう、今の大人のまなざしで眺めることが大切といえるかもしれません。
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カテゴリ: 認知と癒し

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