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ねたむ人

 皮肉、嫌味、揚げ足取り、相手の顔に浮かぶ狼狽や苦痛を見て、ほくそ笑むタイプの人がいます。このタイプの人は、人の不幸を密かに喜ぶのではなく、相手を不幸にするため、積極的に働きかけます。他人の成功を喜べない、ねたみ深い人なのです。
 珍しく人をホメているなと思ったら、その後で必ず貶します。ああ、やっぱりこういう落ちがあったかという感じです。
 ねたむ人のもう一つの特徴は、言うまでもなく自慢です。どれほど忙しく頑張っているか、どうでもいいようなことまで力説します。他人の能力や美質は、自分の価値を脅かすと考えているかのようです。それで、他人を貶めずにはいられません。

 他人と比較して世の不平等を憤るところに、ねたむ人の不幸があります。他人にあって自分にないものを見ると、攻撃性に火がつくのでしょうか。一方で、不運な人や仕事のできない人を見ると、優しい人に変身し、嬉々として世話を焼きたがります。

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 人が置かれている環境も、生まれ持った性質も、不平等そのものです。人は人、自分は自分です。ねたましく思う相手が、失恋したり失業して不幸になったからといって、自分に恋人ができたり、成績が上がるわけではありません。
 他者がどうあろうと、自分は自分のなすべきことをする、自分が向上するために。多くの人は、こう考えるでしょう。
 ところが、ねたむ人は、情熱的に仕事に取り組まず、夜更けに上司に告げ口の電話をします。同僚の足を引っ張り、自分の立場を上げるために。ライバルに抜きんでるための努力を、初めから、無理だと諦めているのかもしれません。
 仮に、こうして成功を手に入れたところで、その快楽は一瞬にすぎません。劣等感は居座り続けます。そこで、さらに、他の人を叩いてしまいます。いつの間にか、生き方の癖となってしまうまで。
 四六時中、人を裁いているので、自分もまた、陰で人から裁かれていることを知っています。サボテンのような棘が、自分に生えていることも知っています。それでも、またムラッときてムカッと来て、皮肉を言い放ってしまいます。そうした生き方しかできなくなってしまっているのです。

 エリートの御曹司に見込まれ、何不自由のない暮らしを約束されながら、周囲の人たちに対して、自分よりもかわいい、働いて自立しているなど、自分にないものを理由に、ねたんでいる人もいます。心は自由に使えるので、その心を使って自ら不幸になっているといえます。
 ねたまれて嫌がらせをされる人もたまったものではありませんが、ねたむ人の心もまた、不安に苛まれているのかもしれません。だとしても、他人を攻撃する理由にはなりませんが。
 自分の心の平安を、他人の幸福に左右されない術を覚えるまで、ねたむ人の心に安らぎは訪れないのかもしれません。自らが足を引っ張った人が、転ぶのを見るとき以外に
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