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悪口依存

 誰しも、陰で他人を批判してしまうことがあります。正面から対峙し、堂々と意見を述べる事へのリスクから、関係のない人に愚痴をこぼして、気晴らしをしてしまうのです。
 その後、すっきり感と同時に、幾ばくかの後ろめたさも感じます。後ろめたさを感じるからこそ、内心反省もし、相手の美質にも目をとめようとすることでしょう。相手との関係性が良好に保たれる結果にも繋がります。

 一方で、常に誰かの悪口を言うことが、習慣化しているような人もいます。面白おかしく人を貶して、周りの笑いをとるような人もいることでしょう。悪口を言う行為自体が、優越感を感じる手段と化しているかのようです。ますます、他人のあら捜しがうまくなってきます。こうなるともう、心地よく酔うための他者非難を手放せません。
 誰かに咎められると、「だって、本当のことだもの。」と居直ります。相手の容姿の欠点も、話し方や仕事上の癖も、本当のことだからあざ笑ってもいいという理屈です。他人の魅力や幸福に対する嫉妬心の強さを物語っています。また、そうした自分に罪悪感や自己嫌悪を感じなくて済むように、自分を正当化しているといえます。

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 対人関係や仕事上の問題に関する他者非難には、自分の立場を支持してほしいという願いが隠されています。周囲からの支持を得ることによって、自分が間違っていないと確認したいのです。思惑通りに支持を得られるといいのですが、反論されると、解ってくれないと、その人まで「敵」に含める結果になりかねません。
 非難は、相手が悪い、相手が変わるべきだという意識に基づいています。もしかしたら、自分の方が、相手の領域に土足で侵入しているのかもしれないのです。
 
 人は、他者非難をしているとき、うなづいてくれた人、同意を示してくれた人を、信頼してしまう傾向があります。誰かを非難したい心境の時には余裕がないので、聞いている相手が冷静に中立的な判断をしているとは考えません。まさか、自分の人格が疑われたり、批判されようとは考えていません。
 その事実を知ると、裏切られたような心境になります。もう、この人には、本音を見せないようにしようと、考えるでしょうか。相手もまた、批判する人には、表面だけの同調を示して、当たり障りのない対応をしているのです。

 他者非難と愚痴に終始する人に欠けているのは、状況を打開していこうとする向上心です。相談された人が解決策を提案しても、実行しようとはしません。それができるくらいなら、初めから陰口を繰り返したりなどしないことでしょう。
 
 隠れた誹謗中傷は、何の解決にもなりませんが、その時だけは、解ってもらえたような、充足感を味わえるものです。たとえば、それは、状況は変わらないけれど、気分だけ良くなるアルコールやドラックのようなものかもしれません。常習的使用は危険です。
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