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忘れられない病理

 一方的に不利益を被る、一方的にハラスメントにあう、それに対して、自分は何ら抗議できなかった。賠償を受けなかった。これ以上の損失や被害を防ぐために、相手から離れた。
 こうした場合、離れたからと言って、すっきり忘れられるわけではありません。人間関係のバランスシートが大きく傾いたまま終焉を迎えているのです。終わった後も傷ついた記憶は消えません。
 相手に賠償してほしい、詫びてほしいという、自分の痛手を回復させようとする感情がくすぶります。相手には、自分の言動に相手なりの理由があるでしょうから、謝罪はもらえないことが多いでしょう。与えた痛手の大きさを自覚するほど、人は素直に謝れません。
 すると、被害者には恨みが残ります。できることなら報復したいけれど、社会はそれを許さないだろうし、その手段も持っていません。
 そこで、忘れよう、許さなければいけないと考えます。そう思うことが、さらに自分を苦しめます。捕食者も飢えているのだからと、相手の事情を汲もうとする獲物などいません。一方的に傷つけてきた相手を、許すことは自分を守ることに繋がらないから苦しいのです。
 攻撃者に対しては身構え、致命傷を受けないだけの距離をとり、可能なら、反撃の機会をうかがう。それが、生物の防衛本能です。痛手を負わされたうえ、その加害者を許すなど、できない相談です。できるときが来るとしたら、それは加害者がその生き方のゆえに、自ら落ちていく姿を見るときでしょうか。

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 被害を被った時に、自分の落ち度や隙を数えていては、立ち直れません。相手の圧倒的な、人としての未熟さのせいで、こうした事態に陥ったのです。それに対して怒るのは、当然です。今度会ったら、もう二度とあんな勝手な真似はさせない。そう誓うことで、人は自分の味方になれるのです。
 
 忌まわしいいやな出来事ほど、強く記憶に刻まれます。脳が、未来に待ち受ける同質の危機に備えようとしているのです。あの不快さを覚えているからこそ、同じ過ちを繰り返さずに済むのです。
 辛いときは、人に話して、共感を得ると、癒されることでしょう。それでもまだ、わだかまりが残ったら、その時はもう、同じ愚痴を繰り返さず、目の前の楽しいことに焦点を合わせましょう。辛い記憶は、日記やノートに吐き出してしまえばいいのです。そこでも、「あの時、自分があんな言葉を言わなかったら...」と、自分を責めることばは禁物です。
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カテゴリ: 認知と癒し

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