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ADHDの対人関係

 熟慮することの乏しさが、ADHDの特徴です。これは脳の覚醒機能の障害に、原因があるとされています。そのために、退屈しやすく刺激を求めます。スリルや危険に満ちたスポーツやゲームを好む傾向があります。
 他者に対しては無関心、親しく付き合っていても相手への理解は、表面的に留まりがちです。相手の心情に、深く肉薄するのは不得手です。
 そこで、自分の意見の源を「世間」や「権威」といった超自我に求めがちです。間違いのない、絶対的な正しさに丸投げするのです。

 たとえ、道ならぬ恋だとしても、人にはどうしようもないこともある、などという心理は理解しがたいかもしれません。それに手を出してはいけないと知りつつも、その時の絶望的な心理から、つい......といった依存症の心理も解らないかもしれません。
 他者の問題行動だけを見て、劣った人として、非難の対象にしがちです。ADHDの人は、いくつになっても世間知らずの若い人のように、他者の痛みを理解しません。他者の一面だけを見て、簡単にレッテルを貼る場合もあることでしょう。
 この表面的認知によって、多くの他者が、自分よりも格下に位置づけられます。その一人一人の人生の重さを知ることなく、コケにし侮りがちです。誰に対しても、常に上から目線です。時には、気になる相手よりも優れている事を示すために、大勢の前でことさら差異を明言し、顰蹙を買います。一方で、自分が勝てないと思う「権威」には媚びます。

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 衝動的で、何か関心の対象が見つかると、後先考えずに突っ走ってしまうことが多いものです。この時には、左右や背後は見えません。ただ、目的地しか見ていないといえます。
 おだてにも弱く、可能かどうかも考えず、踏み出してしまいます。前進していくエネルギーには満ちています。
 周囲は巻き込まれがちですが、心配から手を貸すこともあることでしょう。そうした協力者に恵まれていると、何かあるごとに周囲に依存することにも慣れてきます。後はお願いね、という感じで丸投げにしてしまいまうのです。
 そして、経験から学ぼうとせず、依存対象である周囲の人たちのご機嫌取りを、心のこもらない口先だけの言葉で繰り返すパターンに陥っていきます。
 支えてくれる人に去っていかれても、その人に代わる新しい誰かを確保できれば、それでOKになりがちです。誰かひとりの対象に、深くコミットすることがありません。
 身近なパートナーや友人、家族の目には、ともすれば愛する能力のない人、良心のタガが外れた人と映ることもあります。奪うばかりで、返すものが乏しいからです。自分の関心事や目的にしか興味を持てず、目的のために周囲の人たちを利用し、都合次第で放り出してしまいがちだからです。情緒的交流を期待する人たちには、反社会性パーソナリティが与えるような精神的なダメージを与えてしまいます。
 良心とは、愛着から生じる相手への思いやりですが、ADHDの人は、目的に関心が向いていますので、他者は必然的に状況を動かす持ち駒となってしまいます。そうした利用価値だけで量られ、都合よく用いられていると知ると、身近な人は少なからず衝撃を受けます。
 自己愛性人格障害とオーバーラップするところがあり、ADHDの表出が自己愛性人格障害といえるのかもしれません。
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