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他者優先の限界

 見返りを求めずに、相手に与えること、合わせること、これはコミュニケーションの王道とされています。その人の都合や好みに合わせたり、希望やニーズに沿おうとしたり、相手の良さを探してそれとなく褒めたり、相手の話題に付き合ったり、相手の生活のサポートをしようとしたり。特に恋愛感情のある場合には、相手に受け入れられたい、失うのが怖いといった心理からこうした傾向がいっそう強化されがちです。
 しかも、与えるばかりで、充分に見返りを受け取っていない時、与える事をやめられません。究極の場合、自分を投げ出してまでも、尽くしてしまいます。その先に、相手からの愛の照り返しがあることを信じて。相手の態度がつれなかったり、身勝手だったりしても、相手の心情や事情を汲んで、許し受け入れようと努めます。辛い、寂しい、もっと一緒に過ごしたいのに...そんなに好きじゃないのかな。そうした心の声を封印します。
 すると、自分の痛みに鈍感になってしまいます。あの時、あんなにも傷ついていたんだと、ずっと後になって気付くような次第です。

 相手からの愛の照り返しに幸福を求めていると、喜びも落ち込みも相手の一挙一動次第です。相手の気分や言動に振り回されてしまいます。この時の傷ついた感覚は、与えることと受け取ることのバランスが取れていないことを告げています。それでも、無いよりはましと我慢しているのです。ですが、我慢も募ると、いっそ、無い方がましと別れも考えるようになります。

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 愛は惜しみなく与えるもの、見返りを期待せず与えなさい。などと言われても、「いくら与えても、何も返ってこない」と感じる状態では辛いものです。相手に対して期待し過ぎ、我慢しすぎています。相手にとっては、努力なしに手に入った幸運、ぞんざいに扱ってしまうこともありがちです。
 また、与えることが重すぎると、相手からの多少のお返しにありがたみを感じられません。「足りない」と不足を覚えてしまうのです。
 
 自らを客観視するために、少し時間を空けてみるのもいいかもしれません。その結果、「もう二度とあの状況には戻りたくない」と感じるなら、よほど我慢が限界に来ていたのでしょう。逆に、少し離れてみることによって、相手と過ごした時間の楽しさに気付く場合もあります。
 あなたが後退することによって、相手もたいせつな存在だったと気付くかもしれません。それとも、他の誰かで埋め合わせをして、もうあなたを必要としないかもしれません。その人がどういう対応をするかはその人次第です。その人次第なのです。
 一生懸命与えたり合わせたりを繰り返しているときには、そうすることによって相手の心を得られると信じているのではないでしょうか。そして、相手がそれに慣れきってしまい、自分の存在価値が低いことに気付き、愕然とするのです。
 自分の言動によって相手の心をコントロールできるわけではない、それは相手次第、努力しても良い結果が出るとは限らない。そう自覚することで、相手に振り回される状況からは立ち直れるかもしれません。
 初心に戻ってみましょう。ただ、相手を喜ばせたくて、幸せを感じてもらいたくて、純粋に自分のできる限りを尽くしてきた、そのはずです。それが一方通行になりすぎて、今、疲れを感じているのです。愛ゆえに、その人を支え続けてきた自分を褒めてあげましょう。その人にとっても、あなたと出会い、時を紡いだことは、一つの人生の至福であったことに相違ありません。たとえ、今はそう自覚していないとしても。
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テーマ: 人生を豊かに生きる | ジャンル: 心と身体

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