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つながりを感じられない時

  たいせつな誰かと、あるいは周囲の人々と、つながりを感じられない時、孤独感や寂寥感が忍び込んできます。傍目には、友人知人に恵まれているように見えても、ひとりぼっちと感じている場合も少なくありません。わたしは気遣われていない、たいせつにされていない、受け入れられていないという感情がそこにあります。

 一本の電話でもいいのです。心配してかけてきてくれた、気遣ってくれたと感じるとき、人は絆を意識します。「わたしは、ひとりじゃない」と感じるのです。
 気遣われるうれしさや喜びを知らずには、人は心から他者を気遣うことはできません。孤独感や寂寥感の中で、誰とも繋がれていないひとりぼっちの苦しさのままに、他者を気遣う時、それはコミュニケーション・スキルに終始しがちになるのです。頑張って、マニュアルどおりに働いています。「こうした状況では、こうすべき」と、自動思考も働きます。自らの感情は、封印されたままです。寂しい、苦しい、とネガティブな叫びばかりですから、解放できません。ひとりぼっちの絶望感を封印したまま、善意の行為や行動を発信し続けます。そして、次第に疲れてしまいます。

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 新しい集団の中に入った時など、往々にして人は頑張りすぎてしまうのかもしれません。そこに居場所を見つけるために、新しい絆を築くために、よく知らない人々の中でわがままを封印して、人の役に立とうと努めます。
 そうした時には、人からのちょっとした親切や優しさにも気付きにくいものです。それは相手のコミュニケーション・スキルのなせる業と、社交辞令的に受け止めやすくなります。わたしが頑張って相手の役に立っているからこそ、相手との人間関係が成り立っている、それをやめたら、縁が切れていくと考えがちになります。そして、疲弊し、自分からその縁を切りたくなるのです。

 それほど苦しい努力をしなければつながれないのなら、いっそその努力をやめ、断ち切ってみるのもいいかもしれません。もう頑張れない、ギブアップと、自分の心情を態度に示してみるのです。それで切れていく縁ならば、惜しむものでもないことでしょう。
 一方で、思いがけないところから、気遣いの声が掛けられることもあります。あなたがこれまで笑顔で頑張ってきた姿や、困った問題を抱えている状況は、誰かの目に留まっているのです。

 頑張ることをやめて、役に立つ存在で居つづけることを放棄して、それでも気遣ってくれる人がいる!些細なことでも、感激することでしょう。この時、はじめて、人の中で生きる喜びを感じられます。
 優しさや気遣いを受け取ることで、自分の心にもまた、コミュニケーション・スキルや計算ではない優しさが生まれます。たとえ距離は離れていても、互いに相手を気に掛けることによってつながりを感じられるようになっていかれることでしょう。
 慈愛の心を育てるには、受け取ることがたいせつなのです。与えるばかりでは、人の心は乾いてしまいます。
 また、お返しは、与えた相手からではなく、違う相手から返ってくることも多いものです。あなたが支え、与え続けてきた相手から返されるとは限りません。
 自分が頑張って人を支え続けているときには気付きにくいものですが、自分の姿もまた、周囲の人の視線に捉えられているのです。見てくれている人がいるという体験が、つながっている感覚を生み出します。
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