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渇愛症候群

 子供のころ、親から人格を否定されず、ありのままの存在を受け入れられ、愛されてきた人は、世の中は安全なところだという、根拠のない信頼を持っています。一方、暴力や不和、貧困や混乱の中で育った人は、他者に対して信頼感を持ちにくく、孤独感から、不安に取り憑かれやすくなってしまいます。
 人に不信感を抱きやすい人ほど、実は強く愛を求めています。そのような人が、意中の相手と交際を始めると、犯しやすい間違いがあります。その相手に、強く依存してしまうのです。こでまでの凍った荒野を歩いてきたような自分の人生を、その人に温めてもらいたい、そう願ってしまうのです。人は皆、自らの欲求に従って生きているという事実にも気付かないほど、ロマンスへの期待に酔ってしまいます。それほどに、救い主を求めているのです。
 私は、こんなにもあなたを愛しています。そう告白すれば、感動して愛を返してくれる、尽くしてくれると考えがちです。そのために、自ら進んで相手に奉仕することもあるでしょう。
 にもかかわらず、思わしくない展開になると、あなたなしには生きていけない、死んでしまうと訴えることもあります。相手が、反省して戻ってくれることを期待しているのですが、残念ながら、こうした依存心の強い恋は、相手の重荷となり、破綻することが多いものです。あっけなく破綻する方が、まだ幸いかもしれません。たちの悪い相手につかまって、破産してしまうよりは。

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愛を乞う人は、控えめな良心的な態度で、常々人に接しています。従って、無意識のうちに、周囲から当然受け入れられているものと考えがちです。ですから、思いがけない拒絶や否認には、殊の外傷つきます。その相手を恐れ、許せません。
 中には、自分を嫌う人からの好意を勝ち取るために、極めて卑屈な態度に出る人もいるかもしれません。相手に怒りを感じても、反感を口にはできないのです。そうすることで、自分が周囲から非難される可能性を恐れています。もし、そうした場面に遭遇すると、自分には非がないと内心憤慨しているにもかかわらず、反省や謝罪のことばを口にする人もいるかもしれません。愛されること、受け入れられることを望み、それを得るために自己主張や反感を抑圧し、他者の気にいるように従順に振舞い、その好意を得ようとする態度が、習い性になっているのです。寛大で、優しく、同情的、といった評判を得ている人も多いことでしょう。

 自分の中にある渇愛に無自覚なまま、条件反射のように謙虚な人柄を演じている人もいることでしょう。そして、心の中の葛藤に気付きます。自己否定的な謙遜は、自尊心を傷つけるのです。相手の持っている美質や特技が自分よりも勝っていれば、それ自体コンプレックスの源となりかねません。劣等感に内心苦しみながら、相手の美質を褒め称えることは自虐的です。自分に備わっている資質を内心誇りながらも、相手にもある美質を心から評価する、といった余裕がなければ、他者賛美は辛いばかりでなく、相手からも不信感を買ってしまいかねません。

 受けいられたくて、何かと我慢を重ねてきたのに、期待していたものが手に入らないのでは割に合いません。これを癒して行くには、相手を必要としないことでしょうか。独りでは心もとない、この人に支えてもらいたい、だから、この人を失いたくない、と考えると、人はともすれば従順になり、相手から利用されやすくなります。
 そんな時には、この人はたいして役に立ってくれそうもない、だから失っても構わない。こう考えると、それだけで心理的に楽になります。付き合うのも別れるのも、自分の気分次第なのです。その上で、一緒にいると楽しいからやっぱり付き合おうとしたり、相手を喜ばせたいから期待に応えるとき、そこに利用されているような不快さはありません。受けたりたいマインドから、与えたいマインドになるのです。
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テーマ: 人生を豊かに生きる | ジャンル: 心と身体
カテゴリ: 恋愛依存

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