自分が有能な存在であるために、人を救いたがる人を、メサイアコンプレックスと呼びます。共依存の片方の担い手です。メサイアコンプレックスは、自分が救世主になるために、困った人、問題を抱えた人を求めます。周囲に愚痴をこぼしながらも「不出来な」子供や夫の世話を焼き続け、健気な人という評判をもらっていることもあるでしょう。そうすることで相手の自立心を蝕み、自分に依存させることで安堵を得ているといえます。
自立した人よりも、問題を抱えた人を好みます。そうした対象には、自分の支配が及ぶと無意識のうちに考えるのかもしれません。ここにあるのは、身勝手な自己中心性ですから、決して相手に親身になっているとは言えません。
このような親は、子供の長所には目もくれず、欠点ばかりを指摘します。成績優秀な子供には「運動がダメで」身体能力の高い子にも「スポーツばかりして勉強もしないで」と、常に子供を非難し、決して褒めることはありません。知人などから、問題のある家族のために尽くしていると認められたい心理は、代理ミュンヒハウゼン症候群にも通じるものがあります。なんだか、この母の傍にいると、自尊心が傷つくと子供は感じているかもしれません。
メサイアコンプレックスの人も、幼少期の家庭環境などから、自尊心が傷ついている場合が少なくありません。そこで、存在価値のある自分、つまり、人の役に立つ存在になりたいと願うのです。
人を教え、導くことに満足を見出す場合も多いことでしょう。そうすることで人を救っていると本人は信じていますが、実は他者を、教え導かれねばならない存在に貶め、相手の人格に傷をつけています。
また、自分が常に、役に立つ状況を探して奔走する生き方をしてきていると、他者にもそうあることを求めます。もっと人の役に立つ人間になれ、気が効く人になれと周囲を扇動してしまうのです。
人と人とが、自然に交流し過ごす気楽さを知らずにいるのかもしれません。常に、この場で自分にできることは何かを考え、あわただしく立ち働く生き方は疲れるものです。多少役に立ったとしても、自分は満たされません。ですから、成果の証としての「お返し」を求めます。
お金の無心に来るルーズな人に、お金を与えて堕落させたり、人格を否定し続けて相手をうつ状態にさせたり、そんな相手を見捨てない自分を周囲に誇ったり、自作自演の救世主像で優越を感じる以前に、まず自分の中にあるコンプレックスを癒し、自らを救うことが先決です。自分がくつろぎと幸福感を味わい、自分自身を肯定していると、傍に来る人たちも、おのずと温まります。いつも、周囲の人たちを否定している人の元には、怖くて近づけません。引き立て役など傍に置かなくとも、ありのままの自分でいいのだと、いつも自分に言い聞かせましょう。
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