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外的コントロールという甘え

 あなたがとある人から、使い走りばかりさせられたり、上から目線な態度を取られるような場合、その理由は、おそらくあなたが優しいからでしょう。
 いえ、内心、いまいましく思っているから、決して優しくないと、あなたは応えるかもしれません。ですが、相手にはあなたの心の中は解りません。見えているのは、従順な態度だけです。すると、どうしても、扱いやすい人となって、その存在に重きを置かれません。

 新しい集団に参加し、そこに気心の知れた人がいないような場合は、良い人間関係を築こうと、人は一生懸命頑張るものです。気疲れもするし、ともすればオーバーワークにもなりがちです。
 それを察してくれる人がいればいいのですが、そうでない場合には、都合がいい人、になりかねません。自分が頑張って相手の役に立っているからこそ、相手との関係が成り立っている、といった状態に陥りがちです。
 いくら相手のために奔走しても、自分が困った時役に立ってくれないばかりか、こちらの現状など知ろうともしない。それほど無関心でありながら、当然のように、自分の手足のように使おうとする、搾取-被搾取の構図。こちらが献身的に接するのをやめたら、縁が切れてしまいそうな関係性です。
 そうなれば、他に失いたくないものまで失うことになる場合には、葛藤が生まれます。あなたは、さらに頑張って居心地のいい場所にしようと努めるかもしれません。ですが、そうした状況下では、やがて疲れ切って、離脱を求めるようになっていきます。与えるものと得るもののバランスが、極端に悪くなっているからにほかなりません。

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もう限界値を突破して、相手の存在が重くなりすぎた時、きっぱり断ち切るよりは、距離を開け、今までの8割から7割程度の付き合いにしようと調整を試みる人もいることでしょう。もうバーンアウト状態なら、7割でも相当な努力が必要です。全部投げ出したいところを、頑張って7割の力を出しているのだから、少しは感謝してほしいものだとあなたは考えます。ところが、その人が大勢の前であなたのことを7割の力しか出さないと非難しているのを知ります。なぜ、そんなことを言えるのか、あなたには相手の心理が全く分かりません。相手に憎しみさえ感じるかもしれません。

 その人は、あなたの動労力を期待していたのです。あなたの立場や健康を思いやらない身勝手な期待ですが、自分の自己中心性に気付かず、期待に沿ってくれないといって、怒っているのです。
 これがエスカレートすると、自分の期待に沿わないのは間違った行動だから、正しい方向に矯正する権利が自分にはあると、自らを正当化して、あなたをコントロールしようとすることでしょう。あなたは、劣った存在として相手に認識されていることを知り、屈辱と憤りを感じます。

 不足や不満を言う。責めて、非難する。お世辞で釣ろうとする。場合によっては、罰を与えると脅す。これらは、相手をコントロールするための手段です。しかも、期待に反して、人間関係を破壊します。
人は誰しも、相手から何かを強制されたり、操作的に接してくることに、強い不快感を持ち、相手を退けたくなるものです。その、自分がされて不快なことを、格下と思う相手に平気でしてしまうのです。年齢や立場に違いがない場合、それはあなたの許容量が大きいということです。優しい人は、相手の頼みごとを引き受け引き受け、やがて上下関係に陥っていきます。
 そうは言っても、相手のあの性格は変わらないと、あなたはため息をつくかもしれません。だから、自分が我慢して相手に合わせけ入れる、というのではいずれ破綻します。相手を変えられないということは、相手から見てもあなたをコントロールはできない、ということです。あなたの反射的な対応に、コントロール可能なような幻想を抱いているにすぎません。自他の境界を越えた甘えと言えるかもしれません。
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テーマ: 人生を豊かに生きる | ジャンル: 心と身体

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