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妄想に生きる人

 私たちは外界を、とりわけ他人の心の中を、あるがままに見ているのではなく、自分なりの解釈を持って見ています。時に、その憶測を真実と思い込み、誤解します。そうした傾向が高じると、何でもない出来事に、危機的な演出をして大騒ぎしかねません。安心を得るためには、自分が感じた解釈の妥当性を、検討してみることが必要です。

 ところが、妄想性人格障害の人は、誤解だと解っても、なお、不信を拭えない場合が多いものです。誤解だ、自分が思ったほど相手は危険ではないと知って、安心できません。今度は、誤解してしまった自分の過失を、受け入れられないのです。不都合な現実を、直視することができません。
 受け入れられない現実は、自己の中で都合よく書き換えられてしまいます。そして、その自説で周囲を説得しようとします。現実が見える周囲の人たちは、うんざりすることでしょう。

 不都合な事実、とりわけ、自分の過失にまつわる事実を真摯に受け止め、負うべき責任を引き受ける力の欠落、こうした未成熟な精神性が妄想性パーソナリティの根源にあります。ですから、不当に責められている被害者を演じるのですが、自分自身すら欺き、ねつ造した真実を自ら確信します。
 自己愛の傷つきに耐えられず、現実を歪曲し、不当な非難を受けている被害者あることをアピールしても、周囲を納得させることは難しいものです。妄想性人格障害の人は、完全無欠な自分であることによって、防衛を図ろうとしているのですが、当然のことながら、挫折します。

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 相手の非と同様に、自らの不完全性も受け入れ、折り合っていかなければ、他者は危険な迫害者となります。このような経緯から、妄想はたいていの場合、罪なくして責められている被害者という、被害妄想の形を取ります。この現実把握の湾曲は、周囲の人をひどく苦しめます。
 現実見当識の障害は、脳の機能障害から生じますが、その不完全さから外界に対処しきれなくなった時、人は被害意識の中に逃避し、その苦しさから二次的に「不死身である」「守られている特別な存在である」といった幼児的な全能感、誇大妄想が生じてくると考えられています。

 その感情は冷たく、「冷淡無情」などと形容されています。論争好きで譲歩する事を好まず、徹底的に相手をやり込めます。妻や子供も例外ではなく、愛情を与える対象でもありません。家庭内では暴力の加害者となり、離婚や一家離散も起こりやすいことでしょう。
 愛情を与えられない人は、逆に求めている人です。妄想性人格障害の人は、情報分析や統合の不確かさから、雑多な社会を泳いでゆく柔軟さがありません。サポートが必要なのですが、自分は、正義で被害者であるという防衛が強固であるために、誰も手を差し伸べられません。自ら専門医を受診することも、ほとんどありません。
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テーマ: 人生を豊かに生きる | ジャンル: 心と身体
カテゴリ: 妄想性人格障害

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