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不幸な関係

 年老いた王が、財と権力にものを言わせて、若い姫を妃に向かえます。王妃には財宝に囲まれた、
何不自由のない暮らしが待っていました。誰もが羨む暮らしぶりです。
 ですが、妃は決して幸福を感じてはいません。退屈と虚無感に沈むばかりです。ある日、王の従者の、端正な風貌の若者と出会い、二人は道ならぬ恋に落ちてしまいます。

 どれほど、たいせつにされ、願い事は何でも聞き入れられても、自らの中に相手を愛おしむ思いがなければ、人は幸せを感じにくいものです。
 相手が楽しそうだと自分もうれしい、相手の喜ぶ顔が見たい、だから、相手を幸せな気分にしたい、そうした沸き上がる思いが、幸福感につながります。それには、相手の存在に魅力を感じると同時に、互いの個性に共通点を見出したり、理解し、共鳴し合える相性もたいせつです。あまりに違いすぎると、理解も及ばず、共感もできず、寄り添えません。愛情が、湧いてこないのです。

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好みに合わない相手と付き合うと、おのずと付き合うことのメリットを計るようになります。加えて、愛がなければ、相手が問題を抱えた劣った存在に見えてしまうこともあります。表現されている相手の言動の奥に、隠された心理を見ようとしないからです。相手の胸中を推し量ろうとする想像力は、相手への愛着があってこそ生まれてくるのです。
 愛がなければ、相手を自分の思いどおりに行動させようとしてコントロールしたり、自分の考えを強引に通そうとすることも少なくありません。それが自分にとって当然のこととなっていきます。自分にとって相手は、物事をちゃんと見極めていないように感じられ、自分が方向性を決め、ガイドしなければならないように考えています。それが、愛の乏しさから生じている傲慢だとは感じないのです。

 尽くす女性は、もっと相手の役に立てば、もっと貢げば、きっと相手にとってなくてはならない存在になるはずと考えます。ですが、相手の口から、「何もいいことないな。退屈だな。」ということばを聞くのです。
 どれほど貢がれても尽くされても、相手の存在そのものが、心を揺らさなければ恋愛は生まれないのです。世界を掌中に収めた王のような人に見染められても、その胸中を理解し、寄り添い、共に生きようとする意欲が生まれなければ、空しいばかりです。
 また、尽くされても愛情で報いられない自分自身に、罪悪感を感じることもあるでしょう。相手を幸せにできない自分自身を、責めてしまうのです。
 中には、自分に夢中になっている異性の存在で、自尊心を満たそうとするナルシスのような人もいるかもしれません。「あか抜けない田舎娘のくせに、私と付き合えると思っているのか。」と、あざ笑うかのように、ナルシスはエコーに言い放ちました。愛する人の氷の言葉に胸をえぐられたエコーは、声だけを残して涙の海に消え果てます。
 報われぬ恋のラストシーンも悲惨ですが、心を尽くし燃やして生きる、そうした対象に出会えない空虚で孤独な人生もまた、不幸なのかもしれません。
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テーマ: 人生を豊かに生きる | ジャンル: 心と身体

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