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心理的リアクタンス

 友人知人から、指図されたり命令されるのが好きな人など、一人もいません。人は、自分の言動を自分の意志で決めたいという欲求を持っています。その自由が奪われると、抵抗が生まれるのです。
 出会ったころは好印象だった友人関係も、慣れるにしたがって、どちらかが支配的、干渉的になってくると、トラブルが生じます。自分がやりたくないことや手が回らないことを、そこに居合わせる誰かに、「ちょっとこれやって」「それ取って」どうしても手が離せない状態でなければ、言われた方は自動的に引き受けることが多いことでしょう。「それ」や「これ」は、ほんのちょっとのことですから。
 ですが、毎回そうした態度を取られていると、自尊心が傷つきます。相手の奴隷や家政婦にならないために、自分を守らなければいけないと、危機感を感じるようになるのです。こうなると、もはや友人ではありません。

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また、自分がどのような生き方をしていようと、人からとやかく非難されたくはありません。思い通りにならない人生ですが、それでも置かれた環境で、精一杯生きているのですから。
 人を氷山にたとえると、他人の目に見えているのは、今、現在の状態という、ほんの一角にすぎません。これまでの長い経緯は、水面下に隠されて他人の目にはうかがい知れません。にもかかわらず、多くの人は、その一角だけを眺めて、とやかく批判したがるものです。自分がよいと信じる生き方を、相手にもさせたい。自分がよくないと信じることは、相手にもやめさせたい、など。
 それが自分の価値基準に合わないからといって、相手の恋愛や結婚生活のあり方にも口出しして、あれこれ干渉したがる人もいます。そんなときには、「彼とは、そんな関係じゃないの、信じて!」などと下出に出て言い訳などせずに、「あなたに関係ないでしょ。人にはそれぞれ、事情があるのよ。」と切り返したいものです。その人が友人にふさわしい人なら、「そんな関係、不道徳だ」などと言って正しさの論理を振りかざし、非難などしません。友人が幸せか否か、大事なのはそれだけです。親身になってくれる人なら、幸せじゃなさそうだと心配して「わたしなら、こうするけど、あなたの人生だから、納得の行くようにね。」といって判断は本人にゆだねてくれるのではないでしょうか。

 たとえ親子であっても、恋人、友人であっても、精神的な距離感は必要なのです。あれこれダメ出ししてくる親や友人、行動や対人関係を把握しておきたがる恋人、心理的境界線を踏み越えられたときに感じる反発を、心理的リアクタンスといいます。指図や命令、押しつけは、多くの人に嫌われますが、そうした言い方をする人は、指図しているという認識はありません。気が効かない人、言わないと解らない人、困った人などと考え、自分が教えなればと思っていることが多いものです。
 自分の感じている苦痛を、伝えることを躊躇っていると、その関係性は、いずれ崩壊してしまいます。相手の奴隷でもなければ、全く同じ価値観を持つ人間でもないのですから、当然です。

 友人が自分と異なっていると、アドバイスしないと気が済まない人もいますが、アドバイスは求められた時のみにした方がいいのです。そのアドバイスを受け入れるかどうかもまた、相手の自由です。
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テーマ: 人生を豊かに生きる | ジャンル: 心と身体

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