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被害者意識を癒す

 被害者意識、自己憐憫は見苦しいからやめなさい、と、誰かが悲しんでいる人を叱咤激励しても、その人の心は癒されないことでしょう。自分が被害者である、と思う時、人は何らかの損失を感じています。自分の好意や行為に、相手は妥当なお返しをくれなかった。その損失を埋め合わせられないままに、相手を許すのは納得が行きません。

 被害者意識を抱きやすい人は、心と言動が乖離している傾向があります。本当はしたくないことを、しがらみに縛られて、あるいは称賛や高い評価を期待して、「喜んで」引き受けてしまうのです。
 それ自体、犠牲を払う行為なのですから、その労をねぎらわれて、やっと報われます。ですから、足りないと不足を言われたり、違うとやり方を非難されるようでは、この作戦は失敗なのです。すぐに撤退して、自己犠牲を最小限に留めるのが、正しい戦略なのかもしれません。
 ですが、すでに投資しすぎている場合、損切りする決心がつかないかもしれません。損害を埋め合わせしてもらう権利があるとも、感じることでしょう。そこにフォーカスすると、報われなかった自分自身を憐れんで、被害者意識が生じてしまいます。

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 一方、良好な関係性が築かれている相手との間には、被害意識は生じにくいものです。まず、無理をしません。互いに相手の存在をあるがままに受け入れているのですから、これ以上受け入れられる必要がないのです。無理な頼まれごとは、さらりと平気で断れます。相手も、それ以上無理強いはしません。
 自分が好意でしたことに対して、見返りを求める思いもあまりありません。多めに作った弁当を持っていってあげても、味付けが薄い、濃すぎると文句ばかり。でも、相手の胃袋に収まり、今日を生きるエネルギーになればそれでよしと満足します。相手の正直な感想に、傷つくこともありません。
 
 見返りを求めて報われず、相手を責めるとき、そこには相手への依存があります。受け入れられたい、好意を返してほしい、そのために頑張っているんです。媚びてばかりの卑屈な人だと、軽蔑されては憤りも湧いてきます。

 相手の想いを軽んじる人、他者の痛みが解らない人は、あなたの期待に応えてくれない可能性が高いかもしれません。そのような人にも、寄り添ってくれる人は、きっといることでしょう。その人の悲喜こもごもの人生ドラマを垣間見た人、あるいは、誰の人生も楽ではないのだからと、慈愛の心からちょっと力を貸そうとする人、など等。そうした人たちの心には、見返りを求める思いが少ないことでしょう。
 孤独が身に染みるとき、誰かの愛がほしいとき、被害意識も一緒にやってくることがあります。愛されなくても構わない、多めに作った弁当が、その人の、今日を生きるエネルギーになればそれでよしという心境になれた時、もう被害者意識が押し寄せることはないかもしれません。
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テーマ: 癒し・ヒーリング | ジャンル: 心と身体
カテゴリ: 抑うつ

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