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被害妄想の背景

 理詰めで説明しても、払拭しきれない不穏な妄想。妄想性障害は微細な脳機能の失調による現実見当識の障害ですが、そこに陥っていく人の心理にも一定の傾向があります。
 まず、過去に他者との間に、良好な関係が築けていません。信頼していた人に裏切られた、陰口を聞いてしまった、などの傷心から、他者との間に壁を築いてしまうような場合が多いと言えます。親になじられ続けたり、苛めを経験して人間不信に陥っているケースもあるでしょう。

 被害妄想の背景には、孤独があります。それも、今現在、家族を失うなどの理由で独り暮らしになるといった状況的孤独ではなく、過去にさかのぼって、他者と親睦を深められなかった魂の孤独です。傷心から人間不信に陥り、他者を退けてしまった、あるいは慰めを求めながらも、他者との関わり方が解らず、必然的に孤立してしまった孤独です。

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内向的で、なおかつ、他者の心の動きに鈍感な人が陥りやすい傾向があることでしょう。依頼心の強さと臆病さ、さらに対人経験の乏しさが加われば、被害意識はすぐ傍です。
 依頼心の強い人は、無意識のうちに他者からの承認を求めていますから、必然的に打たれ弱くなります。自分でもある程度自覚していると、非難されることのないように、常日頃無理な努力をします。外では品行方正を演じます。卑屈なほどに、人に媚びようとします。それもこれも、非難を受けないための防衛なのです。本音など、決して口にしません。多数派の意見に同調します。
 こうなると、人と関わることは、相手へのサービスに他なりません。人に交わろうと、それほどに必死なのです。苦痛を強いられているという心境に陥るのも、無理のないことでしょう。

 批判や非難を回避するために常識で武装し、正しい人を演じ続けたとしても、嫌われることもあります。自分らしさを封印して、正しいとされる社会通念や常識に従っているのですから、非難されるのは納得できません。悪いのは相手で、自分は被害者です。

 人目を気にせず、馬鹿にされたり、非難されることも恐れず、自分が楽しいと感じることができると、被害意識は生まれません。ですが、苛めや虐待、疎外や孤立を経験した人は、基本的に人間が怖いのです。ですから、攻撃を招かないように、相手に追従する姿勢をとります。自分を殺すこの姿勢こそ、被害意識の温床です。
 成長期のどこかで深手を負って、さらに傷つくことのないよう不信で防衛し、人間不信に凝り固まりながら、赤ん坊のように、全面的に支えてくれる人を待ちわびている、そうしたパーソナリティが浮かび上がります。

 この人を支えようとする人は、必要とされたがる共依存的傾向ある人かもしれません。外では卑屈なまでに人に追従する被害妄想者は、支えてくれる人には暴君の顔を見せます。どれほど自分が悲惨な人生を生きてきたかを力説し、全面的なケアを求めます。相手の苦労は、想像だにしません。この世で不幸なのは自分ただ一人、そうした世界観に住んでいるのです。パートナーが、不幸な自分の面倒を見るのは当然だと思っています。世の中が危険であることを少しも解っていない愚か者だと馬鹿にしながら、自分の道具のように酷使します。
 一方的に依存しながら、それでいて、パートナーですら、心から信頼することもできません。人を恐れ、家庭の中に引きこもり、家族を道具とみなし、暴君のように君臨しながら、心は怯えています。病識がないので、自ら医療機関を訪れることは少ないでしょう。迫害される妄想は苦しいものですが、家族を守って、社会の中で責任を負う生き方よりは、泣き言繰り言を繰り返しながら、家族に扶養される生き方を選ぼうとします。
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カテゴリ: 妄想性人格障害

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