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児童虐待

 マスコミでは、幼児が死亡するなどの最悪のケースばかりが報道されますが、暴言やネグレクトといった目立ちにくい虐待は、その何万倍にも及ぶといわれています。成人してからも、自分が子供時代に虐待を受けてきた事実に気付かない場合も少なくありません。
 周囲の人たち、わたしたち一人一人も、虐待に関して感性が鈍いのかもしれません。虐待とは、誰の目にもそうと解る身体的暴力ばかりではありません。子供の人格を否定する言動の繰り返し、明らかに子供を傷つける発言、本人の自由を奪う過干渉や刷り込み教育的なコントロール、性的な虐待、これらは、静かに深く、子供の健全な脳の発育を蝕みます。

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親からの虐待に、成長期のうちに気付く人は少ないといわれています。子供は、親からの愛情を疑いません。八つ当たり的な攻撃や、そこに隠された我が子への嫉妬心などに気付きながらも、自分のことをたいせつだと思ってくれている、と信じています。そして、親から否定される自分の個性に価値を見出せなくなっていきます。

 子供は、成長とともに、自動的に成熟した人格を得られるものではありません。成人してからも、その生き方に、成長期の教訓が反映されます。虐待されながら育った人は、様々なソーシャル・スキルの困難を抱えることになります。
 相手の話題や興味に寄り添い、相手の期待に応えることで、自分を虐待しない友好的な関係性を獲得してきた人は、そのやり方が習い性になります。それは、自分を抑圧する生き方ですから苦しいものです。相性のいい人とは、時間の経過とともに、自然に振舞っても互いに受容し合う関係性が築かれますが、そうでない場合には、都合よく利用される立ち位置に置かれがちです。
 また、自分の人格や個性を親から否定されてきていますので、悪意が自分に向けられたとき、自分をうまく守れません。
 よほど気心の知れた相手でなければ本音が出せないのは、基本的に他者への信頼度が低いからかもしれません。ですが、人のぬくもりを知らず、孤独ですので、根底では人を求めています。そこで、信頼できる少数の対象に、どっぷり依存し、相手にとって重い存在になりかねません。自分でも多少自覚があると、相手を失いはしまいかと、たえず不安に駆られます。

 虐待する親は共感性が乏しく、自らの自尊感情も低いという特徴があります。自分自身、親の関心や愛情を充分に受けなかったという成育歴を持っていることも多いことでしょう。ペットを飼ったり、動物に愛情を注ぐことも少ないかもしれません。育った家庭環境の影響も大きいでしょうし、結婚生活が難航している場合もあります。
 自分がいつも非難されるような人格ではなく、良い評価をされうる存在であることを、児童虐待を受けた人は、なかなか実感しえません。それを教えてくれるのは、良い友人でありパートナーですが、そうした存在に巡り合うまでの道のりも、恵まれた環境に育った人よりも長くかかるかもしれません。
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テーマ: 人生を豊かに生きる | ジャンル: 心と身体

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