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自己愛の傷

 最近、子供をコントロールしたがる親が増えているといわれます。子供を認めず、信頼して任せようとせず、過干渉過保護で、子供の健全な自律心を阻害してしまう親です。
 親にとって、とかく干渉したくなる子供は、育てにくい子供だったり、親の理想や周囲の標準とは違っている子供だったりすることでしょう。親自身も生活があり、子供に注意が行き届いているとは限りません。そこで、ともかくも自分の定めた枠に子供を合わせようとしがちです。
 そうした環境下で育つと、他者への基本的な信頼感を持つことができなかったり、人との関わり方がわからず、社会性のトラブルを生じてしまうことも珍しくありません。

 機能不全な環境下で育った人には、一定の傾向があるといわれています。他者からの何気ない反対意見にも、まるで攻撃されたかのような過剰反応を示します。
 いい人だと評価されたいのです。周囲から受け入れられる自己を演出するために、人が当然持っている陰の部分を封印してきました。無理も努力も重ねて、いい人を演じているのです。それなのに、批判されるのは納得が行きません。批判する相手は、巨悪以外の何物でもなくなります。ですから、逆鱗に触れるという反応に出てしまいます。

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 常日頃から、何かと人の役に立とする行動が目立つ人もいることでしょう。ですが、相手に対する関心も愛情もないので、相手には、周囲からの評価を上げるために利用されているように思われてしまいかねません。表面だけで、心が伴わないサービスは、しょせん自己アピールにすぎないのです。本人はそれに気付かず、相手からの感謝がないと嘆きます。
 また、周囲の人の人間的魅力を認められません。表面に見えている些細な難を見つけては問題視し、こき下ろします。その人の抱えている問題の背景には、どうにもならない長い人生ドラマがあることなど、解ろうとはしません。

 それでいて、普通の人なら避けようとする「問題の多い人」に進んで近づき、世話を焼こうとします。内心軽蔑しながらも甲斐甲斐しく世話を焼き、お返しがない、迷惑をかけられたと怒ります。自らが影響力を与えられるシーンを望み、そうした相手なら従うだろうと相手を蔑んでいます。

 身近な人たちに、低い評価を下す一方、遠くにいる著名人は、やたらと崇拝します。有名人や何かの業績を上げた人、といった目に見える価値に重きを置きます。逢ったこともないにもかかわらず、その人となりまでも素晴らしいと、親友であるかのように褒めまくります。一方で、自分の傍にいる、自分よりもちょっと秀でた人は、我慢がなりません。これでもかとばかりに、陰湿ないじめを繰り返しても、自分の言い分を盾に、良心の呵責を感じません。執念深く、執拗に、いつまでも相手を責め続けます。

 身近な人たちと良い関わりが持てず、それを諦めてしまった人も、決して孤立を愛する人ではありません。遠くにいる著名人を崇拝する心理には、この人なら自分を解ってくれ、受け入れてくれるという幻想もあります。その人が近づいてくると、ありのままの自分の現状を見られてしまうと、拒絶されるかもしれないので、決してお近づきになれない人が好ましいのです。そうした存在に愛されている自分という幻想が、その人を支えることもあるでしょう。

 こうした人が身近にいれば、多くの人は疲れを感じることでしょう。ただ、そうした人も、信頼できるパートナーを得ることによって、少しずつ変わっていく可能性もあります。幾つになっても、わたしたちは人間関係を学習する旅の途中なのですから。
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テーマ: 人生を豊かに生きる | ジャンル: 心と身体

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