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善意を要求する者

 誰しも、ささやかな善意を周囲に振舞いたい、ささやかな行為で物事が良くなるのを見るのはうれしいと考えることもあるでしょう。それは、決して強制されて行うような類のものではありません。
 ところが、受け取る側が、受け取り続けているうちに、何か勘違いしてしまうこともります。自分が他人から、善意の施しを受けるのが当然だと思ってしまうのか、「もっと....すべき」と不足を言うのです。
 さらに、力になってくれる人、手助けをしてくれる人を召使だと勘違いしているかのような、横柄な態度も目に付くようになります。

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相手が仕事があるからと断っても、病苦を訴えても聞く耳を持たず、自分の都合次第で呼びつけ、雑用に従事させようとします。仕事や病気は、ただの言い訳にすぎないと考えているかのようです。相手の身を案じる気配など、全くありません。相手が従わないと、公の場で非難します。従って当然とでも言うかのように。

 与えても与えても、さらに善意を要求され、過労で倒れると主体性がないからだとなじられる、このような状態が続くと、協力者たちも、次第に憤りを覚えるようになります。そもそも、従わねばならない義務などありません。給料を受け取っているわけでもないのです。
 そこで、あれこれ、言い訳しながら断る回数が増えたり、ある日突然フェードアウトしてしまいます。協力や無賃の動労力が得られなくなりそうだと知ると、施されたい人は焦って引き戻そうとします。すぐに謝罪することでしょう。ですが、相手が戻ってくると、元の木阿弥です。「釣った魚には餌をやらない」その態度は変わりません。そして、逃がした魚が、いよいよ戻ってこないとなると、次なる獲物を釣り上げようと餌をまきます。この時は、餌を惜しみません。ただし、その餌には、釣り針がついています。
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テーマ: 人生を豊かに生きる | ジャンル: 心と身体

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