Sponsored Link

弱いものいじめ

 お山の大将は、小山の上で暴君のように君臨します。周囲の者たちを有無を言わさず従えようとし、従わざる者には制裁を加えようとします。なぜ、自分に力を貸してくれる人たちを、酷く扱うのでしょうか。
 お山の大将が大将でいられるのは、小山の上だけなのです。大将たちの集会では、端っこの方で小さくなっているのかもしれません。未だ経験も実力も乏しく、認められていない存在にすぎない自分を、常々自覚せざるを得ない状態かもしれません。

Sponsored Link



すると、力あるものへのあこがれが生じると同時に、そこに至らない自己への苛立ちも生まれます。小山にいる仲間たちが、自分よりさらに力弱く見えるとしたら、そこに、受け入れがたい自己を投影しかねません。そこで、相手の至らなさを軽蔑して、酷く扱うのです。相手が怯えて、いっそう従順になれば、力を自覚し、高揚感を得られます。すると、ますます、恐怖を与えることを正当化するようになっていきます。必ず自分が勝つと解っている相手をターゲットにしているわけですから、良心の呵責を感じることのないよう、自分自身に対して防衛する必要があるのです。
 いじめられる側は、いじめを受けた上に、苛められるだけの非があるとされるので、たまったものではありません。やがて、加害者を避けるようになっていきます。
 いじめ加害者も、人に去られる経験を繰り返せば、自分の生き方を考えるはず....ですが、彼らは新たな支配対象を探して、さらに元気に頑張ります。支配者であらんとする生き方以外の生き方を選べないのかもしれません。
スポンサーサイト

コメント

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する