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NOを言うレッスン

 NOが言えない時、私たちの心には不安があります。意思表示したら、相手は気分を害し、嫌われてしまうのではないか、去っていかれるのではないか。そして、そんなことになるよりましと、自分に我慢させることを選びます。そうした生き方が癖になってしまうと、深く考えずに、誰に対しても、自動的にYesを言ってしまいます。そして、自分を苦しめることになります。
 誘いに応じて、行きたくもない場所に出かけたり、心にもない愛想笑いを振りまいたり、それもこれも、周囲の人と良い関係性を築きたいための、必死の戦いなのです。努力が実って、仲間に入れてもらえるかもしれません。ところが、何でも引き受けてくれる都合のいい人、と位置づけられてしまえば、アッシー君どまりです。その努力にふさわしい尊敬や愛情は、返ってきません。
 やりたくないスケジュールに忙殺され、感謝もされず、まだ足りないと文句を言われるようでは、人間関係に疲れてしまうのも無理はありません。

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あなたのことを大事に想っている人は、あなたに我慢させてまで、自分の欲求を満足させたいとは思っていません。嫌な思いなどさせて、不仲にはなりたくないと思っています。ですから、頼みごとを無理強いすることなどないはずです。
 あなたの最初のNOを踏み倒す人は、自己中心的で、他者を省みる余裕のない人です。人間関係を利用する習慣が、身に着いてしまっている人ともいえます。
 そうした利己的な人は、自分の言い分で武装して、あなたの同情心や罪悪感に訴えようとすることでしょう。断ろうとするあなたを、「困っている私を助けるのは、人として立派な行為。助けないのは自己中すぎる。」と揺さぶろうとするかもしれません。
 あなたの意志表示を受け入れず、非難の対象とする人とは、良い関係性を築くことは難しいことでしょう。期待に応えて受け入れられようと励んでも、いっそう要求が多くなり、非難も激しくなるばかりです。
 必ずしも、悪意のある人だとは限りません。ですが、精神的に未熟で、経験も乏しく、物事の理解も表層的といった傾向が強い人だといえそうです。そうした人は、与えられることを当然と受け取り、自ら他者に慈愛を注ぐことができません。
 なるべく距離を開けた方がいい相手だと考えると、NOは言いやすくなります。それは、相手のためだとも言えるかもしれません。意のままになりすぎる環境で、陥ってしまった慢心から、立ち直るために。
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テーマ: 人生を豊かに生きる | ジャンル: 心と身体

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