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理解と許し

 あの人はなぜ、あんなひどいことをするんだ、傷つけるようなことばかり言うんだ、と憤るとき、私たちは相手を理解しえていません。解らないからこそ、相手を非常識だと非難するのです。
 人はそれぞれ、生まれ持った気質も、生きてきた社会も違いますから、自分の常識は相手の非常識、相手の常識は、自分にとっては非常識極まりない驚嘆の世界です。
 そこで、双方自分の常識こそ世界の標準、とばかりに正しさを振りかざして、劣った、あるいは邪悪な相手を、改心させ、従わせようとします。聖戦の始まりです。正義とは、自分たちの利益にとって都合のいいことがらなのです。
 相手側には相手側の正義があります。正義は、利害の対立を越えられません。そこには相手への慈愛が無いからです。

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自分にとって不都合な相手の言動には、相手の事情があります。その事情を知り、相手もまたこちらの心情を汲むならば、許し難く感じることも減少することでしょう。
 私たちが、自分自身について詳しく知るように、相手の事情や人となりを知るには、それなりの時間がかかります。傷つけようとする明確な意図もないのに、理解が乏しくて傷つけあってしまう出来事に、世界は溢れかえっています。
 あなたが理解しがたく思う人の過去は、あなたが経験しない無数のものがたりで飾られていることでしょう。その一つ一つを知っていくほどに、見えなかった世界が見えてきます。「なぜあの人は.....!」と首をかしげることもなくなるでしょう。
 だからといって、誰とでも仲良くしなければならないとか、受け入れなければならないとは思えません。相手にどのような背景があろうと、相手から受けた被害を水に流すことなど、誰しもできないことでしょう。それでも相手の攻撃そのものが、相手の弱さや不幸から発しているものだと知ることによって、少しは楽になれるかもしれません。
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テーマ: 人生を豊かに生きる | ジャンル: 心と身体
カテゴリ: 認知と癒し

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