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いじめと恨み

 有能な人は、時を惜しんで働いています。無能な人が、いじめを働くのです。その人の立ち位置が何であれ、いじめる人の自己イメージは共通しています。「私は人生の落伍者だ。」
 傍目に、恵まれない人と見える人が、本人もそう感じているとは限りません。幸福感は、外から見える条件では計り知れないのです。

 人の上に立つ地位を獲得しながらも、コンプレックスに苛まれ、心穏やかならざらずの人、そうした人たちの中にあるサディズムが、弱い場所を見つけて迸るとき、そこに暴力が生まれます。
 いじめとは、被害者にとって、長期間続く屈辱的で不愉快な行為です。被害者はそうした扱いを受けねばならない理由を、自分の中に探そうとして、自信を失い、自己評価が著しく下がります。

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 ですが、多くの場合、理由は加害者の気質や、過去の中にあります。過去のうっ憤の理不尽な放出であり、歪な快楽なのです。目障りな相手、弱い相手を潰すことによって自己有能感を感じるのでしょう。それは容易に習慣化します。
 加害者は、自らが破壊した相手に人権を見出しません。弱肉強食の世界に、食われるしかない弱者として存在したこと自体、そうなる運命だという論理です。また、自分が良心の呵責を覚えないためにも、相手は間違った、罪深い、劣った存在でなければなりません。
 当然、他者の恨みを買います。ですが、被害者やその関係者からの反撃を受けたからといって、反省できるわけではありません。相手に対して身構え、いっそう強く攻撃し、破壊しつくすことによってのみ、自分を守ろうとします。
 そうして、幾多の戦いを経るごとに強くなっていきます。戦うほどに、恨まれることが増えていきますから、部外者への不信感は強まり、さらに戦闘的になっていきます。強くならなければ、自らの利益のために貪欲であらねば生きていけぬと確信する人生は、戦いの中に終わります。
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テーマ: 人生を豊かに生きる | ジャンル: 心と身体

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