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都合のいい存在

 人は慣れてしまう生き物なのでしょう。愛されることにも慣れ、いつしか、それが当然になってしまいます。
 ほんの少し、何かを手伝ってあげるような場合、相手は恐縮したり、ありがたがって感謝しますが、2度、3度と重なると、いつしか手伝ってくれるのが当たり前、手伝わないと非難されたりして、驚くこともあるでしょう。
 友人だと思っていたら、いつの間にか、使いパシリばかりさせられていたり、お金を出すのはいつも自分、といった不満も溜まってきます。関係を終わらせるか、修復するかしなければと悩むときでしょう。
 人は、満たされると、感謝できなくなってしまうかのようです。感謝できるのは、一人で頑張っているとき、ほんの少し力づけてくれたり、手を貸してくれて、さっといなくなる、そうした対象かもしれません。そうした時、人は、一人じゃないと実感できるのかもしれません。
 尽くしても尽くしても雑に扱われるのなら、相手の中で、平等な関係性ではなくなっているのかもしれません。愛を返してほしいからと、さらにさらに与え続けていると、もっともっと安い存在になってしまうかもしれません。

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人が、たいせつな人の価値に気付くのは、皮肉なことに、その人を失った後であることも多いものです。その人のいない日常に痛みを覚えて、やっと気付くのです。もっとたいせつにしたかった、もっと幸せを共に感じたかったと気付くのです。
 距離を開ける決意をして、相手が反省の態度を示せば、まだ脈はあります。ところが、元に戻ると、また円の二週目を回る...などということも起きないともかぎりません。
 人間関係の微調整は繰り返し繰り返し、何度も何度も、根気のいる作業かもしれません。そうやって少しずつ、相手を理解し、互いのありのままを受け入れられるようになるのかもしれません。もちろん、そこに至れない場合もあります。
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テーマ: 人生を豊かに生きる | ジャンル: 心と身体

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