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陰湿な攻撃

 加害者は、面と向かって敵意をむき出しにしてくる人ばかりとは限りません。第三者には善意を装いながら、目当ての人物を陰湿に痛めつけ、密かに攻撃を加える人たちもいます。
 周囲に第三者がいると、こうした人たちは攻撃を仕掛けません。むしろ親切を装います。実に巧妙です。たとえば、「手伝ってあげる。送ってあげる。」などと周囲に善意を吹聴しながら、二人きりになれるチャンスをうかがいます。二人きりの時に、どのような攻撃を受けたかを話しても、周囲は信用しません。周りからは、その邪悪さは見えにくいのです。むしろ、「送ってあげている」善意の人と認識されがちです。
 本人が、自分の残酷さに充分に気付いていないこともあるでしょう。自分は被害者だ、これは当然の防衛なのだ、そんなふうに正当化しているかもしれません。

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こうした人たちは、職場でも友人関係でも、何かうまくいかないことがあると、その責任は相手にあり、悪いのは相手だと確信し、その相手に巧妙に罪悪感を押し付けようとします。
 高慢で知ったかぶりをすることが多いですが、自尊心は低く、自分のポジションを失いはしまいかと常に警戒しています。優れた人が現れると、自分の立ち位置を守ろうと、巧妙な攻撃を延々と繰り返します。そうした自分の醜さに嫌悪感を覚えないのだろうかと不思議になりますが、自分の方こそ被害者であるという思い込みが強く、実際に被害を受けていなくとも、攻撃の手を緩めません。
 こうした人に受け入れてもらおうと害意のないことを示したり、積極的に仲良くしようと努めても、期待通りにはならないことでしょう。むしろ、そうした期待は早めに捨てるのが賢明かもしれません。
 こうした人たちは、自分こそ被害者という思い込みのもとに、良心の呵責を捨ててしまった生き方をしています。いかに自分が被害者であるかを、虚実を混ぜて周囲に語り、周囲もそれを真に受けてしまうことも多々あります。
 そのコミュニケーションは特徴的です。いったん人を持ちあげ、ホメたかと思うとすかさず貶します。
 怯まず、陰険な陰険な嫌がらせをし続ける人が、被害者の痛みに気付き、反省するようなシチュエーションは、映画やドラマの中だけでしょう。攻撃欲の強い人が、あなたの痛みを理解してくれることは、ほとんどあり得ません。理解しえないからこそ、攻撃が可能なのです。
 こうした破壊的な人と出会ったら、出来ることはなるべく関わらないことでしょうか。その人には、その人にふさわしい世界があります。あなたも、あなたが安心でき、支え合ったり高め合ったりできる相手と、多くの時間を過ごすことを選びましょう。
 人間関係の悩みの多くは、付き合いきれない相手とどうすればうまく付き合っていかれるかという類のものが多いものですが、付き合わないという選択肢もあるのです。
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