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泥仕合になる前に

 料理や家事やプレゼント.....あの人の喜ぶ顔が見たい! そう思って動力を惜しまずにいるのに、なぜか付き合いが進展しない、あるいは長続きしないことがあります。これまで、見返りを求めるような態度や発言をしたこともありません。にもかかわらず、なぜ?
 自分がよかれと思ってやっている事柄も、もしかしたら、相手の望んでいる事ではないのかもしれません。さらに、相手の心理的負担になっているのかもしれません。
 相手との距離をもっと詰めたい、確かなものにしたい、そうした思惑が、尽くす行為の内側に潜んでいます。それを、自分の自覚よりも鋭く、相手は感じとっているのかもしれません。

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手応えが感じられないから、もっともっとと、自分を投げ出すと、その先に待っているかもしれない相手の拒絶に耐えられません。相手の中に、あなたに対する「冷淡」さを感じたら、ブレーキを踏むときです。
 その予兆は、相手の眼差しに宿ることも多いでしょう。軽蔑の眼差しです。一生懸命自分に尽くしてくれているあなたの態度や振る舞いに、唇を歪めて鼻で笑うような視線を向けられたら、これほど辛いものはありません。関係性を紡ごうという意思がないから、そのために一生懸命な相手を小ばかにしているのです。

 以前は、そうではなかったかもしれません。何らかの約束を口にしたかもしれません。ですが、口の端に軽蔑を漂わせるようになると、保身に走りかねません。言ったこともなかったことにし、水掛け論の争いに誘い込みます。
 すると、相手は自然と無実の被害者になります。相手から真実を引き出そうとするあなたは、気が付けば加害者の座に居ることになりかねません。
 さらに、相手は、もう顔も見たくないといった態度で、無視したり、接点を持つ場所を避け始めます。他の誰かに、あなたの批判をしているかもしれません。相手にしてみれば、逃れたい一心で、人格否定までしてしまう可能性も少なくありません。これは、かつてはほほえましかった関係に、とどめを刺してしまいます。離別の後も、もう恋はこりごりと思うほどの傷跡を残しかねません。
 泥仕合の終焉を招かないためには、与えすぎず、求めすぎず、相手の差し出すものに応じて、こちらの態度を調整する冷静さが必要なのでしょう。ところが、そうした前頭葉の分別を振り切って、逢いたい、話したい、触れ合いたいと、ひた走る想いが、恋のやるせなさでもあるのです。
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テーマ: 恋愛 | ジャンル: 恋愛

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