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自分を恥じる人

 自分の意見が無視されたとき、賛同を得られなかったとき、さほど気に止めない人もいますが、羞恥心を覚える人もいます。自己評価が、他者の同調に依存しているのです。
 恥を覚えると、だんだんと自分の意見を言えなくなってきます。人づきあいも、苦痛になってしまいます。周囲に同調すると、孤立を免れるので、迎合的になる人もいるでしょう。
 自分の意見を言えると楽なのに、自己主張する勇気が持てません。そうした自分を責める癖も身に着いてしまいます。
 なぜ、思ったことを、感じたその時に、ことばにできないのでしょうか。その心の深淵には、人に対する根源的な不信感があります。ありのままに心を開いて見せられるほど、他人を信頼できないのです。
  そうなったきっかけが、必ずあります。それは、最近の出来事などではなく、記憶の中にも留まっていないほどの遠い過去の「原体験」でしょうか。それを癒していく過程も必要かもしれません。
 人の中にいると気疲ればかりして、帰宅するとどっと疲れを覚えるのでは、せっかくのパーティも楽しくありません。何らかの役割を演じなければならない場合、往々にしてこうした傾向もあることでしょう。本来の自分らしくない自分を演出するから、疲れるのです。それも、不本意な、やりたくない役割ではないでしょうか。
 親しい友人たちとの集まりの場合、こうした消耗感はないはずです。ありのままでいることを、相手が許してくれるからです。

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心をオープンにするまでに時間のかかる人は、ありのままの自分でいることを許されない環境で育ってきたのでしょう。養育者が良かれと思って口にする注意や意見が、全て自分の人格を否定することばだったのかもしれません。そうした環境を生きてきたのなら、ありのままの自分を恥じて隠して、他の誰かを模倣したり、周囲に迎合して自分らしさを消し去る生き方が身に付いたのも無理はありません。押し込められた本来の自分は出口を求めますから、内心は葛藤でいっぱいです。
 周囲からは本音を言わない人、あるいは自分の意見を持たない人と思われているかもしれません。そう思われていることに気付けないほど、周囲との関係性は希薄かもしれません。
 拒絶されるのが怖くて、積極的に人に近づけない。けれども、人に飢えて、満たしてくれる誰かを、誰よりも深く求めています。
 人に臆する心理は、成長期の拒絶や否定といった恥の体験が、重なってきた結果だといえます。ですが、それは、あなた一人の責任ではありません。人を信じられる環境が、用意されていなかったのです。安心感の乏しい家庭環境や、教育現場だったのかもしれません。
 人は誰しも他者を求めます。そうできない胸中には、深い葛藤があります。
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