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バタードウーマン 渇愛

「都合のいい女」などということばがあります。尽くす女は報われないともいわれます。
 翻ってみれば、報われないからさらに与えるのです。尽くすことは求愛行動です。
 ありのままの自分をさらけ出して、受け入れられている相手に、自分の気持ちを押し殺して、無理して相手に合わせてしまうことなどありません。わがままを言っても手ひどい反発を受けることの無い家族や、けんかをしてもいつの間にか仲直りしている親しい友人に、本心を隠して、相手に添う必要などないのですから。
 自分の意見を抑えて、無理して相手に合わせてしまうのは、どういう相手でしょうか?
 本音を言ったらどういう反応が返ってくるか、まだよく解らない親しくない知人、相手の意見が優先される上司、そして、まだ恋愛関係に至っていない意中の人.......。
 自分を出さないのは、それだけ慎重に相手の動向を見ているのです。この状況では、主体性が無いとか、ましてや、自尊心が足りないという問題ではありません。

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傍目に問題があるように見えるのは、どう見ても、愛が返りそうもない相手に、なおも献身的に尽くしているような場合でしょう。
 愛が返れば充足を味わい、求愛行動は静まります。これまでとは一転して、本音を見せるようになり、
「釣った魚に餌をやらない。」
といった状態になります。
 ここで、相手の愛が感じられないと、求愛行動が止まりません。相手の都合次第でいいようにあしらわれても、求められればお金だって出してしまいます。好き勝手されても、目の前で他の異性とべたべたされても、辛さを堪えて耐えてしまいます。一度でいいから、「愛されたい」のです。
 「そんな残酷で薄情な相手はさっさと見限って、捨ててしまえばいい。」というのは、恋をしていない状態の人の言い分です。恋とは、前頭前野の冷静な判断力を振り切って、生命の源からほとばしる情熱なのです。良い悪い、利益不利益など越えて、押さえようにも押さえきれず、噴出す情熱なのです。善悪や利害を考えてコントロールしようとしても、できるものではありません。
 より相手を必要としている側が、尽くす側になります。より多く惚れた方が負けといわれるのは、このせいでしょう。
 愛されたいと思うからこそ、彼好みの女を演じ続ける。愛されることを期待して......。その状態は、傍目には自尊心の乏しい、都合のいい女に映るかも知れません。意中の相手から愛されたいという身を焦がすような渇愛が、そこにあります。
 ただ、それは、今はそういう状況、そうした状態なのであって、その人がそういう人なのではありません。恋と言う非日常は、ひとりの人をいつもと違う顔に変貌させてしまうものです。
 始まりがあれば、終わりがあります。成就によって、渇愛を解かれ、素のままを見せ合う関係に移行しない間柄は、諦めによって終ります。邪険にされても、一方的に尽くし続ける関係は、長くは続かないのです。相手のカリスマ的な魅力に翻弄される大脳辺縁系の興奮を眺めながら、前頭前野は、かかるコストと受け取るものとを、ちゃんと天秤ばかりに掛けています。
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カテゴリ: 恋愛依存

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