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集団的いじめ

 「いじめっ子」の典型は、『ドラえもん』のジャイアンではないでしょうか。とはいえ、ジャイアンタイプのいじめっ子には、他者の苦痛をもてあそぶような、怨念を感じるようなサディズムはありません。お山の大将でいたいガキ大将で、知らずに周囲を傷つけている場合が多いのです。
 確信犯的ないじめは、もっと巧妙で陰湿です。いじめること、それ自体を楽しみ、周囲に対する支配力として行使します。
 ターゲットには、反撃できない性格や立場の人が選ばれます。取るに足りないことで徹底的に責め、蔑む一方で、他のメンバーには、これまた取るに足りないことを大げさに評価し、褒めまくります。すると、犠牲者も、周囲の人々も、責められるにはそれなりの理由があると考えるようになっていきます。

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標的にされた人の心が傷ついて、集中力を欠くようになり、ケアレスミスが目立ち始めると、周囲は一緒になって、その不注意を責め始めます。そして、暴言を振るう加害者の言い分が、当然のように感じるのです。人の感受性は、暴力によってマヒしていくかのようです。
 さらに、当事者も、なぜ自分だけが?と、不可解に思いながらも、自分の性格に難があるに違いないと信じ始めます。いじめは、被害者の自尊心を蝕むのです。
 入社したばかりの数人の新人を相手に、影響力のあるハラッサーがいじめを行使し、周囲がそれを黙認する職場は、このように周囲の人々の意識がマヒしていることが少なくありません。周囲も、標的に対して加害者と化しているのです。しかも、自分の罪深さに気付いていません。
 学校でも職場でも、同じような構図で、いじめは一人対集団の形を取りやすいものです。一人では、なかなかいじめっ子の壁に太刀打ちできません。もとより、戦うことが苦手な温厚な人がターゲットに選ばれていることでしょう。
 もしも、それで自分を責めたり恥じたりしているなら、あなたがあなたが悪いわけじゃありません。あなたの性格や能力が、加害者たちが思いこませようとしいてるほど、劣っているわけじゃありません。たとえ、そうだとしても、攻撃していい理由にはなりません。他者の苦痛を娯楽とすることほど、醜く見苦しいものはありません。
 いじめによって孤立してしまったとき、周囲は一枚岩のように見えることでしょう。ですが、いじめの横行する社会の絆は、それほど強くないことが多いものです。
 その環境を去ることができないのなら、あなたの味方は、いじめの壁を構成するギャラリーの中にいることでしょう。あなたはいずれ、仲間を獲得する戦いに出向いていくことでしょう。笑顔と親しみやすさを武器に。
 暴力や恐怖のみが武器ではありません。むしろ、それは、脆い絆しか生みだしません。
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テーマ: 癒し・ヒーリング | ジャンル: 心と身体

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