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愛の欠如

 一個人のできることには、限りがあります。他の人がその一部、あるいは全部引き受けてくれたら、これほど楽なことはありません。他人を利用するタイプの人は、これを熟知しています。そして、他者を手配し配置することが主な仕事となるのです。
 集団では人を指図して使う人、動かされる人の構図ができてきます。強引であつかましく、少々拒否されてもへこたれない人が、リーダーシップを取っていきます。上に立とうとする人はまた、できる人、いい人の仮面をつけるのも得意です。周囲から、その仮面を喜んで提供されることも多いかもしれません。
 ですが、こうした人たちは、身近な人々と、必ずしもいい関係を築けているとは限りません。

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受け入れてくれる相手に、自分の面倒を見させようとする姿勢は、相手からすれば迷惑千万だからです。
 それでも引き受けてしまうのは、相手への期待や依存があるからでしょう。それ故に、この人と良い関係を築きたいと願っているからでしょう。
 ところが、そう願えば願うほど、安い存在になりはててしまう危険性が生じてしまいます。どんな風に扱おうと、この人は決して去っていかないと安堵すると、自分の要求が通るのは当たり前だと考え、顎で使うようになっていきかねません。
 なぜ、それほど酷いことが起きてしまうのか.....愛の欠如に他なりません。自分の思い通りに、都合よく動いてくれる他者を、人格として尊重できなくなるのです。ロボットのような、自我を持たない劣った存在という理解になっていきます。相手の心に痛みがあることなど、想像も及びません。怒りがあることすら、気付きません。
 相手に去っていかれそうになると、急いで追いかけます。こんな裏切りを受けるなんてと、自分が被害者になったような心境です。
 「あなたが必要なの」と泣き落とされて戻ってみると、元の木阿弥です。便利な道具として、必要だっただけなのです。
 いくら望まれるからといって、相手の期待に応えてばかりいても、こちらが大変な時に、その人は何もしてくれないでしょう。単に、御しやすい人として、便利に利用されるだけなのです。

 その人との関わりから得るものと、かかるコストのバランスは取れているでしょうか。損得を計算して行動するのは利己的と、自分を責めていないでしょうか。
 人間関係は、基本的にgive & take、与えて得る関係で成り立っています。損得を抜いた無償の愛は、行きずりの小さな親切を別にすれば、欺瞞に満ちた綺麗事でしかありません。
 その人と付き合っているのは、その人から何かを得たいからであり、また、他人が自分に近づいてくるのは、自分から何かを得たいと考えているからなのです。得るものがあるからこそ、私たちは他人と仲良くして、付き合っているのです。
 空約束ばかりを与え、それを平気で破り、相手から貪るばかりでは、やがて今ある関係を失っていくことでしょう。もらうことに慣れすぎ、それを当然だと、驕ってはいけません。
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