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慎重な人

 NOがいえない、相手に気を使って、図々しく人にお願いをすることもできない、そうした人の元には、なぜか、あつかましい人ばかりが寄ってきて離れてくれません。「他人を手足のように使わず、自分のことは自分でやってくれ、わたしはあなたの使用人じゃない!!」と、叫びたい気持ちをぐっと堪えて、従ってしまう自分に腹を立てて、悩む日もあることでしょう。
 あつかましい人は、相手の気持ちを察しようとしない人です。察することのできる人は、そもそも初めから他人を使用人扱いになどしません。
 気軽に頼み事をし、雑用をいいつけ、相手が素直にやってくれれば、それでOKなのです。引き受けてくれる人には、頼みやすいですから、またすり寄ってきます。やがて、それが当然のようになってしまいます。

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NOがいえない人は、慎重な人なのです。NOを言った結果、相手がどういう感情を抱くか、どういう態度を返してくるか、解らなければうかつにNOは言えません。また、相手との関係に波風を立てたくないという平和主義者でもあることでしょう。本心を明かしていないだけで、決して無制限に寛容なわけではありません。
 ところが、物事の表面だけしか見ない人の目には、従順であり、素直な人に見えてしまいます。相手の内側にある鬱憤や憤りには気付きません。
 NOを言わない慎重な人も、家庭の中や身内の人には、我がままに振舞うことでしょう。言いたいことを言い合える関係性が築かれているからです。強引な人は、顔見知り程度の相手にも、身内であるかのように、身勝手な態度を取ってきます。そうした相手に、まだそれ程親しくないからという理由で遠慮して、我慢を続けると、苦しむことになります。
 顔見知りのころから本音のあつかましさを見せる相手には、こちらも家族に対するように、遠慮のない返答を返してもいいのでしょう。プチッとキレたり、都合よく頼みごとをしたり。家族の場合、相手も遠慮のない態度を返してきます。
 遠慮しない相手に対して、遠慮してしまう。これが悲劇の構図を作っています。自分は遠慮して、言いたいことを我慢して、相手の遠慮のない頼みごとを無理して引き受け...こうした社交辞令的な関係性では、見返りがないと割に合いません。
 見返りがなくともできることは、自分の余裕の範囲、支障の出ない範囲です。それ以上のことには、無理をしない方がいいのですが、慎重な人は、様子を眺めながら周囲に溶け込むために、当初無理をしがちです。
 相手が同様に、慎重な様子眺めの人ならばトラブルは起きませんが、最初から身内同様の身勝手さを示す人には通じません。言わなければ分からない人には、言うしかありません。NOを言えば不機嫌になって、あなたの罪悪感を刺激しようとするような人なら、その手には乗らないと態度で示しましょう。
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