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自覚のない暴力-集団モラハラ

 いじめをする上司の大半は、ターゲットになる部下に対し、こういう印象を持っています。
「こいつは反撃をしない。孤立しているから、こいつを庇う者もいない」 
 一方のいじめを受ける人は、繊細で攻撃力の弱い人が多いものです。周囲の人々をよく観察し、洞察力は鋭いのですが、自分への攻撃に対して、反撃する術を知りません。むしろ、傷ついた様子を見せれば加害者を喜ばせる、そうはさせまいとして平静を装います。
 これが、いじめをエスカレートさせるメカニズムだと気付いていません。感情を露骨にしない相手は、自分の感情のゴミ捨て場として利用しやすいのです。もっと不満や怒りを口にすると、ターゲットにはなりにくいのかもしれませんが、被害者になるような人は、撃ち込まれた攻撃のボールを瞬時に打ち返すといった技を習得していません。そこで、別の戦略、相手に気に入ってもらって、攻撃をやめてもらうという手段を取ろうとします。ところが、相手に媚びたり、従順に要求に応じたり、迎合的に接することによって、さらになめられてしまうといった結果も招きます。

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いじめは、入社早々、まだ被害者が職場内で新しい対人関係を築く以前に始まることもあります。繊細で攻撃力の弱い被害者も、対人関係構築能力がないわけではありません。被害者と友好関係を結ぶ社員も、同情する社員もいます。ですが、上司の力に拮抗するだけの力がなければ、収束には向かいません。同情する社員がいる一方で、勝ち馬の尻に乗り、被害者を侮る輩もいます。
 いじめが個人間だけでなく、周辺の人々を巻き込んでしまうと、人の道徳観念をマヒさせてしまいます。叱責されている社員には、叱責されるだけの理由があるのだとし、その社員を疎外することに良心の呵責も感じなくなっていくのです。おもしろがって、集団であざ笑うようになると、その組織はかなり病んでいます。
 
 被害者は、仕事ができないから、ターゲットになるわけではありません。反撃しない、黙って耐えている、徒党を組んで向かってこないから、憂さ晴らしの道具として格好なのです。
 被害者の傍に居る同僚が、上司をそそのかしている場合もあります。自分の立場を脅かされる、そうした予期不安から、潰して退職に追い込もうと意欲を燃やしている同僚が、すぐ傍に居ることもあるのです。早く職場に馴染もう、協調してやっていこうとひたすら頑張る新人は、ひとたまりもありません。無抵抗で、ちょろい奴という印象を与えてしまうのです。
 組織的ないじめは、日常化とともに拡大化していきます。ターゲットがいじめられる理由はターゲットにあると、周囲は認識してしまうのです。人権を踏みにじるような出来事も、いつもの見慣れた光景になっていきます。あたかも強い酒が口の中をマヒさせるように、日常の暴力は人の道徳観をマヒさせるのです。心身共に滅入ってしまっているターゲットがよろめいて転ぶのを、クスッと笑うような残虐性が、居合わせる人々の心にも住みつくようになっていくのです。
 こうなるともう、被害者が意を決して抗議に及んでも、もう手遅れといった感じで、火に油を注ぐ結果になりかねません。速やかに、いじめ菌が繁殖していない環境に非難するのが確かな唯一の手段かもしれません。
 
 愛や優しさを持って臨めば、相手からも同質のものが返るという黄金律があります。ただし、相手が同じ人類であるならば。
 狼が羊に言います。「愛をください。」羊は命を差し出します。食べ終わった後で狼は言います。「ありがとう。君のおかげで飢えなくて済んだ。」羊の命は二度と返りません。逃げ遅れた子羊にならないでください。羊の命は羊のものです。神が狼のために作った生物ではありません。
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