Sponsored Link

ナメられないために

 たとえば、上司に嫌われてしまえば、どれほど良い結果を出しても、それに見合う評価は望めません。上司ばかりでなく、周囲に気に入ってもらうスキルは、自分の居場所を居心地よくするために欠かせません。
 では、期待される存在になることが素晴らしいのかといえば、一概にそうとも限りません。期待に添えば、さらに次なる期待がやってきます。次々に添い続けようとすれば、オーバーワークに陥り、過労でダウンする危険性が増していきます。期待に応えることによって評価を勝ち取り、相手の右腕的存在になりたいと願っていても、そうなる以前に倒れるかもしれないのです。そして、ここでギブアップすれば、期待されていただけに相手の失望も大きく、場合によっては恨みすら買うことになります。今までの努力は、なんだったのだろうか......。

Sponsored Link

こうした葛藤は、職場ばかりでなく、友人や恋人との交友関係の中でも起こりがちです。人に嫌な思いをさせてはいけないと、誠実に接していると、いつの間にやら、その禁じている態度を人から取られているのです。コイツには何を言っても、やっても大丈夫だとなめられてしまったてることに気付き、愕然とします。
 友人や恋人とはいえ、取ってはいけない態度は存在します。そして、それをわきまえない人もいるのです。わきまえない言動を戒める第三者がいない環境では、暴挙が暴走しやすくなります。そうなると、自衛するしかありません。気に入ってもらうための柔和なキャラで、意図に反してなめられそうになった時には、その仮面を脱ぎ捨てる必要があるのです。
 柔和な人に対して傲慢になり、やたらと支配したがる人は、他者の感情に無頓着で、表面しか見ない人なのでしょう。ムカつきながらも従っていると、自分のあつかましい態度も許されていると勘違いします。こうした人たちには、「許していない」と態度で示さないと気付いてもらえません。
 「お茶入れて」と、その人が言えば、「急須、そこにあります。」いそいそとお茶を入れたりなどしない。従順な生き方が身に着いてしまっている人は、これが結構難しかったりします。ロボットのように、相手の言葉に反応してしまうのです。異議を唱えた時の相手の反応を、恐れる気持ちもあります。愛されたい自分、受け入れられたい自分が、そこにいます。これを解決はないことには、反撃体制が整いません。
 
 受け入れられたいから、そうなれるという期待があったから、スマイル路線で相手に従った。その結果、都合よく利用される存在になってしまった。そんな相手なら、もういらない。ここにきて、やっと方針を翻せるのかもしれません。相手はもう、そうまでして得たい存在ではなくなったのですから。
スポンサーサイト
テーマ: 人生を豊かに生きる | ジャンル: 心と身体

コメント

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する