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優等生とサディスト

 入社したばかりの職場で、早々にいじめのターゲットにされると、被害者は、なぜ自分だけがこんな目にあうのか、理由が解りません。自分の何が悪いのだろうかと、自分ばかり見つめて、自己嫌悪に陥っていきます。そうした傷心こそが、実は加害者のサディズムをわくわくさせるご馳走なのです。
「先月までそこの席に座っていた人、苛めてやめさせてやったわ。」
と、刺すような眼差しを向けられると、不吉な予感に戦慄を覚えることでしょう。不幸にも、その直観は的中します。
 多くの人は、加害者は多大なストレスを持て余し、それを破壊しても安全な相手、繊細で弱々しく見える対象に、理不尽にぶつけているのだと考えることでしょう。確かに、そうしたケースもあるでしょうが、他者の苦痛を見ることを快楽としているサディスティックな人たちも存在します。ただ、いじめたいがためにいじめるのです。

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狙われるのは、まだ職場に人脈を築いていない新入社員、とりわけおとなしそうな印象の人が選ばれます。サディストにとって、御しやすい人とみなされるのです。
 被害者は、子供のころ、優等生だったかもしれません。先生の言うことをよく聞く素直な子供だったことでしょう。
 ですが、大人になると、そうした習性は本人を生きづらくします。自分の考えを押し殺し、周りに受け入れられることだけを考えて行動する、という生き方から抜けられなくなってしまっていることに、気付かないでいるのです。
 大人は、素直に従う子供を良い子と評価しやすいものです。聞き分けのない子は、問題児とされます。周囲に大人の多い環境で育った子供は、自然と、自分の考えを言わず、周囲からの好感を勝ち取るのが優れた生き方だと学んでいる可能性があります。
 相手からすると、コントロールしやすくなった状態といえます。本音を言わない、意見を言わない、ありきたりの社交辞令でスルーしようとする、こうした態度はサディストの目にはターゲットと映ります。
 本人も、自分に嘘をつき、別の自己を演じ続けているわけですから、苦しく、自己嫌悪にも陥ります。生きていることが、楽しくなくなります。
 自分の気持ちを押し殺すことが、大人な振る舞いである。優等生は、こうした価値観を持っています。生きていることが辛くなったら、それは本当に正しい考えなのか、考えてみましょう。
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