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命令好きと支配欲

 支配欲の強い人は、自分の手足の延長のように、他人に命令てして使うことを好みます。ターゲットに選んだ人を名指しします。「〇○さん、お茶の用意して。」「〇○さん、スプーン取って。」「〇○さん、△△して」「〇○さん!!!」その要求は矢継ぎ早です。切れ目なく続きます。
 〇○さんがサボっているわけではありません。むしろ、他の人より一生懸命動いています。他の人たちが雑談している間も、独楽鼠のように動きまわっています。指図されたくないから、その隙を与えないようにとあくせくしているのです。にもかかわらず、ほんの数秒立ち止まっただけで、すぐに次の命令が飛んできます。
 雑談している他の人たちは、何も指図されているわけではありません。なぜ、自分だけが?? 給料をもらっているわけでもない、知り合いの人たちの集まりで、なぜこんなみじめな思いをしなければならないの? その集まりに、足が遠のくのも当然のことでしょう。
 なぜ、あの人は、人の嫌がることを言うのか?命令や指図されることを好む人など誰もいないのに。ターゲットならずとも、理解しがたいことでしょう。

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 おそらく、自分の命令通りに人が動く快感に、中毒になっているせいかもしれません。自分しか見えない人には、相手の苦しみは解りません。そこで、指示する必要のないこと、どうでもいい些細なことまで、命令せずにはいられなくなっているのかもしれません。
 こうした自己愛の強い人は、他者の心理には疎いですから、相手が苦痛を感じていることなど、想像もつきません。相手から苦痛を訴えられると、それに対して、「あの人は性格がキツイ。あの人はあれやこれや、ダメなところがいっぱいで。だからわたしが、導いてあげなければ。」といった展開になります。さらに、自分の要求に応えない相手に、自己愛憤怒が沸き上がります。

 他人を支配したがる人は、自分と他人との境界線があいまいです。他人は、いつも自分の都合のために控えている存在なのです。
 とはいえ、誰もが従順な子羊になってくれるわけではありません。そこで、イエスマンでいてくれるだろうとみなした相手は、所有したがります。去っていこうとする相手を、執拗に追いかけることもあるでしょう。しかも、「戻ってきて。あなたに〇○をやってもらいたいから...」と、また依頼です。道具のように使われることに、辟易として離れようとしている相手に。

 リーダーとなる人は、周りから慕われてこそ、周囲から力を貸してもらえる存在となりえます。それには、支配ではなく、信頼関係が必要です。リーダーの人柄が重要なのです。相手の苦労をねぎらわず、サポートを当然のごとく要求し、思い通りにならないときは相手の価値をディスカウントして、周囲に漏らすようでは信頼もおぼつきません。
 恋愛感情で熱くなっている場合を除いて、相手の言いなりになりたい人などひとりもいません。命令や説得が好きな人などいません。同年齢の大人同士で、相手の価値観に教育されたい人などいないのです。
 誰かに何かを指示をしたとしても、相手がそれをやりたいと思っていなければ、意欲的には取り組んでもらえません。それを責めたところで、反発を食らうばかりです。あの人の力になりたいと思ってもらえる自分にならないと、人は動かないのです。言うことを聞かないから、責めたり怒ったり、教え諭す必要があると考えた時点で、既に、その人間関係は終わっています。利害のない関係に上下を持ち込もうとすることで、相手に害を与えているからにほかなりません。
 命令すると人が動いてくれることに、酔ってはいけません。命令しなければ動いてくれない自分を省みるときです。
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テーマ: 人生を豊かに生きる | ジャンル: 心と身体

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