Sponsored Link

虐待のメカニズム

 思いどおりに誰かを動かしたい、そうした支配欲求は、誰の心にも多少存在しているといわれます。そして、日常の中で、ストレスがかかると、そうした傾向は強くなります。他の誰かから被った苛立ちを、安全な誰かに向けて吐き出すことで消化しようとします。
 こうした傾向は、閉鎖的な環境で持続しやすいものです。また、暴走しやすくもなります。差配し、命令して、相手を自分の役に立たせようとする人は、相手の境界に越境し、相手の尊厳を奪っていることに気付きにくいものです。「なんて役立たずなんだろう、もっと私のために、言われなくとも動いてくれるといいのに!」などと考え、相手のいたらない部分にばかり注目し、非難や批判を繰り返します。

Sponsored Link

この人の傍に居る人は、文句を言われながらも指示通り動き、相手のために働き、感謝もされない状態が続きます。支配側は、第三者に、どれほど相手が問題を抱えた至らない人であるか、その人をどれほど自分が支えようとしているかを力説します。第三者の目を欺こうとしているわけではありません。相手に服従を求めるのが、自分の正当な務めであるように、本気で信じています。
 このように相手を格下に置き、自分の都合次第で手足のように使うことには、自尊心の満足という快感が伴います。しかも、そんなふうに扱っても不利益や罰則が生じないので、やめられません。そして、その小集団はブラック化していきます。

 人には、支配傾向の強い人と、そうではない人がいます。支配性向が強い人が、低い人をパートナーに選ぶ場合は、対等な人間関係を築けないといった問題を抱えていることが多いものです。自分が優位に立ち、何でも意のままにできる相手をパートナーに選べば、見捨てられるかもしれない不安から、相手との距離を常に微調整する必要がありません。そこで、何の不安もなく、相手を召使のように扱い、気に入らないと怒りをぶつけるという支配-隷属の関係を続け、そこに満足を見出します。
 では、支配性向が低い人は、好んで隷属に甘んじるのかといえば、決してそうではありません。さらに、低い位置にいる相手に、その支配欲は向かいます。家庭の中で、弱い立場の家族が、その対象となりがちです。
スポンサーサイト
テーマ: 人生を豊かに生きる | ジャンル: 心と身体

コメント

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する