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モラハラ加害者の胸の内

 「愛は、見返りを求めず、惜しみなく与える」などと言われます。ただし、それは、与えても困らない程度の量に限られます。仕事を休んで、相手の用のために駆けつけたり、財布をはたいてなけなしのお金を貸してしまったりしてはいけません。
 限度枠以上を与え続け、しかも、相手からそれに見合うものが返らなければ、与え続けたエネルギーはやがて憎しみに変わります。
 「これほど、尽くし続けてきたのに.......。」
 こうした恩着せがましい思いが湧いてきたら、その関係性は、すでに崩壊しています。与えるものと得るものの、バランスが取れていないのです。

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無償の愛、それは、おそらく、その対象が、赤ん坊やペットに限られることでしょう。
 「わたしがどのような扱いをしても、変わらず愛してほしい。いつも私の必要のために控えていてほしい。」
 ともすれば加害者の立ち位置になるようなパーソナリティの人は、このような願望を抱いています。
愛を口にはするけれど、愛することができません。愛がなければ、その関係性で顕著になるのは、支配被支配の構図です。「私はあなたを愛さないけれど、私に無制限の愛をください、私の言いなりになってください」と、相手に挑みます。そして、相手からハラスメントだと認識されることになります。
 相手が意のままに動いてくれれば、自分は相手より賢いのだと自覚し、自己有能感を保てます。相手が提供しているものの多さ、大きさには気付けません。さらに、相手が協調的になればなるほど、相手の有能さを感じられなくなります。意のままになる相手は、取るに足りない相手なのです。
 自分は、有能な人材に恵まれていない、そうした不幸感にも浸ります。相手の時間や動力を奪い続けながら!
 相手の存在に価値を見出さず、当然のように自分だけ与えてもらう不健全な関係性は、何らかの事情で一時的に成立したとしても、長くは続かないことでしょう。与えてもらって当然と考える人が、相手の心に不満を生みだし、「与えてもらえないので、こちらも与えない」という判断を引き出します。それは、健全な判断でしょう。
 虐待的な人は、服従を要求し、わたしを敬えと命令します。ですが、いくら支配的に挑んだところで、立場上の理由では尊敬を勝ち取れるわけではありません。尊敬できる確率が最も高いのは、相手を尊重し、その尊厳に敬意を払う人でしょう。それは、相手の命、生きとし生けるものすべてに、慈愛の眼差しを持てる人なのです。
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