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他のために生きる?

 人の役に立つ人間になろう。役立つ喜びを知ろう。などと言われます。あまりに自己中心的になりすぎず、利他の心を持ちなさいということでしょうか。
 自分が生きていることによって、家族や友人など、喜びを受け取っている人が必ずいます。ですが、職場や友人等の役に立つ事が、生きる目的だと考えるのは怖いことです。
 「仕事をしてもらって助かる」「一緒に過ごすと楽しい」は、相手に取ってのあなたの価値です。
たとえば、羊飼いが羊を大事にするのは、食べるためです。その毛皮でセーターを編むためです。ですが、羊にとって、食われることが幸せでしょうか? 黙って耐えれば、DVやモラハラを行う人のイライラを解消できるかもしれません。ですが、心にも身体にも青あざを作り、痛みに耐えるあなたは幸せでしょうか? 自分が幸せを感じられなければ、たとえ相手の役に立ってるとしても、辛いばかりです。

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サンドバックやドアマットになってくれる、無賃で独楽鼠のように働いてくれる、その犠牲の上に、相手は楽しさを謳歌している。それを見て、あなたは幸せでしょうか? もう、我慢がならない。そうは思いませんか?
 他のために何かをすることは、それに自分が満足を覚えられることでなくてはなりません。幼児やペットのために、まるで召使のように働いても、安らかな寝顔には癒されることでしょう。感謝できる心を相手が持ち合わせていないとしても。
 こうした無限の愛を、人は大人の他者に対して持ちにくいものです。たとえ、家族や恋人であったとしても。にもかかわらず、「他の役に立たなければ、生きる価値がない。生きる意味は、他の役に立つ事。」と、考えているとしたら、それはなぜでしょうか。
 自分の価値を高めようとして、自己犠牲を行う人は、他者にも同様の行動を求めます。そして、他者を非難します。他者が、自分を優先することを許せません。
 また、「相手に興味はないけれど、評価を高めるために。」といった動機で行う親切の薄っぺらさを、相手はすぐに見抜きます。期待するほど、感謝もしてくれません。もちろん、お礼の言葉は、山ほどくれるでしょうが。
 他者や世の中に貢献できることは、素晴らしいことですが、それが不本意であれば、充足とは程遠いものです。
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テーマ: 人生を豊かに生きる | ジャンル: 心と身体
カテゴリ: 共依存

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