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ジャイアン的生き方

 対人関係に波風が立ち、誰かから自分の問題点を指摘されたとき、ジャイアン的な人は、それを認めません。とやかく不平を言ってくるその人に、原因があると考えます。
 たとえば、「夜更けに、私の妻に電話を掛けてきて、果物を買ってきてと頼むなんて、あなたは非常識だ。」と友人の夫から抗議されると、「あの人は、夫に構ってほしくて、私のことを言いつけてる。表裏のある人だ。」と、第三者に話します。
 これは、事情を知っている第三者には、あまり有意義ではありません。夫の非難も無理からぬことだと、周囲は考えます。ところが、ジャイアンは、あの人は転職ばかりしてだとか、アルコールの飲みすぎ出だとか、焦点をずらして、クレーマーを切り捨てて終わります。
 機嫌を損ねたくない相手、まだ利用価値があると考えている相手に対しては、すぐに謝ったり、機嫌を取ります。ところが、暫くすると、問題行動を繰り返します。反省の言葉を口にした割には、態度は改まりません。何度、涙を見せて謝罪したとしても。
 表面上、反省を見せて、相手が態度をやわらげてくれれば、それで終わったとして、忘れてしまうのか、いつまでもジャイアン的傾向は治まりません。

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人は、誰しも自分の難を指摘されたくはないものです。指摘してくる相手には不快感を抱き、離れようとします。許されなければ謝れないのも、また真理です。
 こちらが傷つけたにもかかわらず、相手が、大らかに歩み寄ってくれる、その時に、もうあのような態度で傷つけないようにと心を配るのです。ところが、ジャイアン的生き方をする人は、許されれば、また甘えてしまいます。何度も相手に去られ、その度に追いかけ、戻ってくれば、あるいは他の人には、同じ姿勢で挑むのです。そして、また離れていかれる、その繰り返しです。
 相手が戻ってくれたり、もしくは、すぐに代わりの人が現れたりしている限り、生き方は変わらないのかもしれません。自分が逆の立場に立たされ、痛い思いをしない限り。
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