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愛と犠牲

上手に人に甘えたり、頼ったりすることが多い友人や恋人を持っていると、我慢が続いたり、相手の要求に応じ続けて疲れ果てることがあります。そうまでしなくては付き合ってもらえないとすれば、それは友達でも恋人でもありません。あなたが必要なの、と、その人は恥じらいもなく叫ぶかもしれません。確かに、必要なのでしょう。従順な奴隷が。
 そうした人は、相手の表面的な態度だけを見て、従順で我が強くないと判断すれば、何でも思い通りに操ろうとします。こちらの奉仕に対して、見え透いたお世辞のお礼しか返らず、さらに別の要求を突きつけられます。
 自分が一方的に利用されただけで、自分の努力に対してほとんど何も受け取っていないと気付くと、人は去っていきます。残された加害者は、次なるターゲットを探します。そうした対象は、不思議なことにすぐに見つかるのです。
 あなたが苦しくなるならば、逢わなければならない日が近付くにつれ、わけもなく涙があふれるならば、その人はあなたが自覚する以上にあなたの害になっています。

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人手が足りないと泣き付かれたから、なんとなく放っておけない.....それは、自然に湧いてくる感情です。だからといって、体調の悪さを押して、多忙な自分の仕事を後回しにして、傷ついている自分の心に封印をして、笑顔を振舞わなければならないのなら、それは自分を粗末に扱う行為です。
 あなたにとって一番大切な存在、それはあなたです。なのに、利用価値でしか量ってくれないような人と、陰で愚痴をこぼしながら、なぜ付き合うのでしょうか。
 きっと、いつかは.....。これだけ尽くしているのだから、特別な存在になれるはず。そうした希望でしょうか。それとも、この人を失ったら誰もいないという不安でしょうか。

 人は、未熟であればあるほど、自己犠牲的な愛情を注いでもらえることに憧れ、相手にそれを求めることが多いものです。相手との関係をよくしようと、いつも我慢して折れていると、相手にとってはそれが当たり前になってしまいます。ありがたい対象ではなくなるのです。そして、当たり前になればなるほど、相手の価値は低くなります。一度、相手を失わなければ、そのありがたみには気付けません。すぐに次の対象が見つかれば、軽蔑したまま、見下したまま、忘れてしまうかもしれません。
 うまくいっている人間関係では、犠牲を強いられるようなことはありません。傍に居るだけで、話を交わすだけで、楽しいな、幸せだなという利益を受け取れるものです。
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