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人間関係に疲れた時、考えてみよう

 人間関係に疲れてしまうとき、その関係性にかかるコストに見合うものを受け取っていないことが多いものです。与えすぎの状態になっています。そして、見返りがないと嘆いています。
 そうしたぼやきを呟くと、訳知り顔な人から「見返りを求めず与えるのが愛だ」などと、諭されるかもしれません。そうだ、見返りを求めず、与えることに喜びを見出さなければ、等と、ひたすら頑張り続けると、やがてボロボロになって疲れ果ててしまうことでしょう。山奥の一軒家に引きこもりたい心境になるかもしれません。
 与えすぎる人は、人付き合いのうまい人の特徴を、下記のように考えているのかもしれません。
空気を読むこと。
相手の期待に沿うこと。
人の嫌がりそうなことは言わないこと。
どんな話題にも、柔軟に合わせられること。
誰に対しても、笑顔で接すること。
 これらは、相手の気分や状況によって、自分の態度を決めること、そのために常に自分を抑圧し、コントロールし続けることです。全て他者中心ですから、疲れます。どうすれば気に入ってもらえるかを気にかけ、自分自身に我慢を強い続けていることに、気付いていないのかもしれません。
 これだけ尽くしているのだから、仲間だと、親友だと、恋人だと思ってくれているはず、そう思っていたのなら、相手のつれない一言に打ち砕かれます。これまでの度重なる努力は何だったのかと....。

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人は、今自分が持たないものの中に、幸せの条件を見出してしまいます。力になってくれる親友が、大勢の仲間が、パートナーがいること、それが何よりの幸せと。そして、欲しいものを獲得するために、第一の親友であるべき自分自身に、ひどい仕打ちをしてしまうのです。
 やさしさを投げかけた相手から、優しさが返されるなら、悩むこともありません。今、苦しんでいるとしたら、相手があなたの優しさに甘んじ、当然のように受け止めて、あなたに愛情を返さないからではありませんか。
 相手への愛情があれば、おいしいものをご馳走したいと思うことでしょう。それが、相手の今日を生きるエネルギーとなり、明日への蓄えになると考えるだけで、満ち足ります。コストばかりが掛かると感じるときは、そうした域をすでに過ぎてしまっているのです。相手が喜んで受けとり続けているうちに、こちらがひたすら懸命に与え続けているうちに、いつしか楽しかったかもしれない記憶も、憤りにかき消されているのです。
 他者を求めるが故に、自分を大切にできなくなる、そうした状態にわたしたちはともすれば陥ります。与えすぎていることは、求めすぎているということでもあるのです。
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カテゴリ: 認知と癒し

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