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対人不安症

 人が大勢いる場所では、自分だけが取り残されて、ひとりぼっちのように感じる。本当の気持ちを、素直に口に出せない。結局他人はあてにならないと感じて、誰も信頼できない。嫌われないように、相手に迎合して生きてきた。
 ふと、こんなふうに感じたことはありませんか。漠然とした対人不安を抱えていると、他者と過ごすことに、楽しみや喜びを感じられません。にもかかわらず、相手の気持ちを配慮する過剰同調性を駆使して、迎合的に楽しそうに振舞いますから、帰宅するとどっと疲れを感じます。
 このような対人過敏は、 子どものころ、安全に過ごせなかった愛着外傷が、根底にあると考えられています。人間への不信感から、いつもどこか身構えているのです。相手に同調しないと、本音などいうと、それっきり相手との関係が切れてしまうと、本気で思っているようなところがあります。
 自分は、他人に受け入れられないという確信は、子供時代そうだったからに他なりません。そのまま、社会に背を向け、一人のままでいるのは寂しいので、相手の表情や動機、要望を、つねに読み取ろうとし、それに合わせることを自らに強いています。

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こうした傾向を持つ人たちが、他の人を信頼し、心を開くまでには時間がかかります。適切な時期に愛することと愛されることを学ばなければ、大人になってから他人を信頼することは難しいのです。
 とはいえ、疎外された状態は辛いですから、過剰同調性を持って他者との親密さを築こうとします。ですが、相手への不信も拭い去れません。こうした状態では、当然、対人関係に疲れやすくなります。
 十代では、自分を100パーセント受け入れてくれ、何でも自分の思い通りに動いてくれる空想上の恋人を思い描き、空想の世界に逃避することもあります。同じ虚構を共有する人たちがいれば、それはもはや個人の空想ではなく、共同社会の現実ともなりえます。
 現実の世界に傷つき、恐れを抱く人たちにとって、自分たちが創りだした虚構の世界に実存する人だけが、心を癒してくれる存在となっているのです。現実では、過剰同調性を持って疲れる対人関係を続け、一人空想の世界に憩います。
 現実の他者は、虚構の人のように全能ではありません。それほどの絶対的愛情を持って、接してくれるわけではありません。
 それでも、多少なりとも気心が合い、傷つけあうことの少ない友人関係に恵まれると、対人不安は軽減されていきます。本音で愚痴が言える人が、一人いればいいのです。誰にとっても、安心して愚痴をこぼせる相手は、そう多くはないかもしれませんから。
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